かみ合った兄弟のスクラム
創業から20年後に、兄弟仲は急速に悪化することになるのだが、当初の2人の組み合わせは最高だった。
弟のアドルフは、寡黙な職人肌だった。靴の製作に興味はあったが、それを売るのはあまり得意ではない。むしろ苦手だった。兄のルドルフはプレゼンテーション上手だった。マーケティングテクニックではなく、話術と情熱で物を売る天才だった。どちらか一方の存在だけでは、ダスラー兄弟商会は大きくならなかっただろう。
時代も彼らに味方した。話は遡るが、1874年、イングランドから帰国したドイツ人の英語教師コンラート・コッホによってドイツへサッカー競技が持ち込まれる(諸説あり)。当初は学校教育の中のスポーツだったが、次第に人気を博し、1902年にはドイツ・サッカー選手権が開催されるほど広まる。各地にクラブチームが生まれ、サッカー観戦だけでなくプレーする人が増えていった。
第1次世界大戦後は、敗戦国ということもあり、娯楽にお金をかけることが難しく、サッカーを始めとしたスポーツをする人は多かった。そうした背景もあり、ダスラー兄弟商会のシューズは飛ぶように売れていく。こうして1926年には、当初小さな洗濯用の作業場を改築した製作場から、工場へ移転するほどまで事業は拡大した。

Powered by リゾーム?