2022年8月31日、スイーツと制服が人気だった「アンナミラーズ」の最後の1店が閉店する。一時は全国で30店舗弱のチェーン店化に成功したものの、時代の変化とともに次第に規模を縮小していった。最後に残ったのが「アンナミラーズ高輪店」だ。そんなアンナミラーズを運営しているのは井村屋として創業した井村屋グループだ。今回はそんな井村屋の歴史について、アンナミラーズの歴史も交えて紹介していく。

創業は無手勝流で「ようかん」に挑戦

 井村屋の創業は1896年(明治29年)にまで遡る。ヘンリー・フォードが4輪自動車の試作に成功し、ギリシャのアテネで初の近代オリンピックが開催された年だ。

 1868年(明治元年)生まれの井村和蔵(以下、和蔵)は29歳のとき、三重県飯南郡松阪町(現在の松阪市中町)で菓子舗「井村屋」を開業する。それ以前、彼は米相場に挑戦するも大失敗し、しかたなく、次のビジネスに着手することになった。和蔵が着目したのは、全く経験のない和菓子だった。

井村和蔵(写真:井村屋)
井村和蔵(写真:井村屋)

 両親が和菓子職人でも、菓子職人としての修行経験があるわけでもなかった。だが、「自分にも和菓子は作れそう」と挑戦する。最初に売り出す商品をようかんと決め、わずか1円50銭の元手で、原材料の小豆や砂糖、そして寒天を購入し、ようかん作りを始める。創業時の行動が行き当たりばったり感があり面白い。

 無事ようかんを煮詰めるところまで来たものの、問題が起きる。資金が少ないためようかんを流し込み、固めるための型を用意していなかったのだ。普通はあらかじめ用意しておくだろうと言いたくなるところだが、和蔵はそこでひらめいた。

 「ああ、この山田膳に入れればいい」

 山田膳は三重県の伊勢地方の工芸品の1つだ。春慶塗(しゅんけいぬり)と呼ばれる技法で作られ、漆器としては安価なため、どこの家庭にもあった。また表面がツルツルしているおり、型抜きがしやすい。この山田膳を利用したようかんが下の写真の「山田膳流しようかん」で、量り売りできるという特徴もあった。生来のアイデアマンと評された和蔵だからこそ生まれたユニークな商品と言える。

漆器を型にした山田膳流しようかん。量り売りできることが特徴で、創業当初の主力製品となった(写真:井村屋)
漆器を型にした山田膳流しようかん。量り売りできることが特徴で、創業当初の主力製品となった(写真:井村屋)

次ページ お菓子のヒットメーカーに