「マン島TTレース出場宣言」

 アート商会の丁稚(でっち)奉公時代に話は遡る。宗一郎は社長の榊原郁三と共にモータースポーツに熱中していた時期がある。1924年(大正13年)11月23日に開催された第5回日本自動車競争大会で、操縦士(ドライバー)を榊原真一(社長の弟)が、同乗の宗一郎が機関士を務め優勝したほどだ。その後も、モータースポーツへの情熱は決して失っていなかった。

 事業も拡大し、今しかないと、54年(昭和29年)、宗一郎は全社員に対して世界的なモータースポーツへの挑戦を宣言する。それが、「マン島TTレース出場宣言」と呼ばれるものだ。

 英国のマン島では、オートバイレースの最高峰の1つが開催され、毎年世界中からライダーやメーカーが集う。レースは公道で行われ、サーキットと比較するとカーブやアップダウンが多く、またロングコースだ。ライダーの技能とマシン性能の両方が問われる厳しいレースと言われている。

宗一郎が全社員に向けて出した「マン島TTレース出場宣言」。片手間ではなく、本気で優勝を狙おうとする姿勢がうかがえる内容だ(画像:Honda)
宗一郎が全社員に向けて出した「マン島TTレース出場宣言」。片手間ではなく、本気で優勝を狙おうとする姿勢がうかがえる内容だ(画像:Honda)
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 出場すると宣言したからには止まらない。その年、宗一郎自らマン島TTレースの視察に向かった。ただ、行ってみると自社のオートバイと比較にならないほど、競合車の性能が高く、現状のままではとても太刀打ちできなかった。

 59年(昭和34年)、宣言から足かけ5年かけ、マン島TTレースへの出場を実現した。ただ、他のオートバイとの差は詰まったとはいえ、優勝する見込みはほとんどなかった。しかし、ホンダ勢のドライバーはマシンコントロールにたけていた。中でもライダーの谷口尚己は、上位集団のリタイアなどの運にも恵まれ、初出場ながら6位入賞を果たした。また、ホンダ勢の他のライダーも上位に入り、参加初年度ながらチーム賞を見事手にした。

マン島TTレースを走った「RC142」の復元車。谷口尚己はこれに乗って活躍した(写真:Honda)
マン島TTレースを走った「RC142」の復元車。谷口尚己はこれに乗って活躍した(写真:Honda)

 快進撃はそれだけで終わらない。2年後の61年(昭和36年)には125cc、250ccクラスの両部門で1位から5位までを独占。62年(昭和37年)には125cc、250cc、350ccクラスで優勝を果たしている。

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