78年、クリスアン・ブレナンとの間に娘リサが誕生する。ただ、ジョブズは娘を認知せず、DNA鑑定で実の娘だと立証された後も、なかなかアクションを起こさなかった。養育費の支払いを渋り、ブレナンは施設でリサを育てるなど不遇な生活を送る。80年には、ジョブズはアップルの株式公開で億万長者になっていたにもかかわらずだ。

 実の両親から養子に出されたことは、ジョブズ自身にとってもつらい経験だったはずなのに、彼自身が親としての責務を果たさないのを不可解に思う人も多いはずだ。実際、彼は、実の両親と同じ選択をすることとなった(その後、ジョブズとリサは和解している)。

新プロジェクトを引っかき回すジョブズ

 78年、ジョブズは、Lisa(リサ)プロジェクトをスタートさせる。娘と同じ名前が付けられたこのプロジェクトは野心的なものだった。中でも採用されたGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)やマルチタスク機能はPCスペックの向上と相まって歴史を塗り替えるものだった。だが、ジョブズはこのプロジェクトを引っかき回した。

 開発者たちの間に、いきなり首を突っ込んできて、こんなものを作るなんてと批判する。時には辞めてしまえと開発者を罵倒し、プロジェクトのメンバーは疲弊していった。盟友スティーブ・ウォズニアックはApple Ⅱの改良に没頭しており、誰もジョブズの暴挙を止める人がいなかった。

 そんなジョブズに対し、81年当時のCEO(最高経営責任者)だったマイク・マークラがプロジェクトへの参加禁止を言い渡す。ジョブズが外された後の83年、「Apple Lisa」が販売される。だが、9995ドルと強気すぎる価格設定のため見事に売れなかった。

 次にジョブズが参加したのが、Macintoshプロジェクトだ。複雑化した製品を簡易化し、安価なPCを開発することを狙って、79年にジェフ・ラスキンという技術者が立ち上げたものだった。

 話は遡るが、79年、ジョブズは米ゼロックスのパロアルト研究所を訪れる機会を得た。そこで、コンセプトモデルだったGUI機能をベースにしたPC「アルト」と出合うことになる。それまでのPCはプログラム一つ動かすのにもコマンドの入力が必要だった。それに対し、マウス操作だけで直感的に操作できるアルトは、PCの常識を覆すものだった。

 このコンセプトを、よく言えばオマージュし、悪く言えば模倣して作られたのが84年1月に発売された「Macintosh 128K(以下Macintosh)」だった。

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