偉大なる起業家の半生

 スティーブ・ジョブズ(以下ジョブズ)が、偉大な経営者であることに異論を差し挟む人は少ないだろう。1976年に米アップルコンピュータ(現アップル)を創業し、パーソナルコンピューターの黎明(れいめい)期に業界を席巻した実績は高く評価されている。85年、アップルで閑職に追いやられ、辞職したものの、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立し、フルCGの3Dアニメーション映画で、米アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞の常連となった。

 その後、96年には、業績不振となったアップルに舞い戻り、宿敵ともいうべき米マイクロソフトからの支援を受けるなどして業績を回復させる。98年にはiMacの販売を成功させ、2007年にはiPhoneでデジタル機器の新たな分野を切り開くなど、大きなトレンドを生み出してきた。

 だが、実績への評価が高い一方、人間性についての批判も多かった。人と軋轢(あつれき)を生むことが多く、気難しい人物であったことや、秘密主義な企業体質などがバッシングされることもあった。そうした悪評までひっくるめて、カリスマ性を持った経営者であることは間違いないだろう。

養子として

 ジョブズは、1955年2月24日、米サンフランシスコで生まれた。両親は、当時結婚しておらず、生まれてすぐに養子に出される。こうして、養父ポール・ラインホルド・ジョブズと母クララ・ハゴピアン・ジョブズの元で彼は育つことになった。

 両親は、高度な教育を受けたタイプでも会社経営者でもなかった。だが、ポールは車の修理技能を持ち、それをなりわいにしていた実直な人物だった。エンジニアリングの何たるかを身をもってジョブズに伝え、それは彼のDNAに刻み込まれた。

 少年時代からジョブズは「優秀な問題児」だった。人より秀でた能力を持った彼にとって小学校時代のレベルの低い授業は苦痛でしかなかった。教師の椅子に爆竹を仕掛けたり、人の自転車の鍵番号を変えたりするなど、彼のエネルギーはいたずらへと向けられた。一方で、その非凡な知識レベルを評価する教師もいた。そのためジョブズは4年生を終えると1年学年を飛び級し、6年生へ進級することになる。

 伝記作家でジャーナリストのウォルター・アイザックソンが執筆したベストセラー『スティーブ・ジョブズ』では、養子という環境が彼の性格の根底をつくり上げたとしている。実の両親からは捨てられてしまったが、ジョブズ家に選ばれた特別な存在でもあったと。そこには不幸と幸福が同居しており、それが彼の行動原理をつくり上げたという。

 親が子を捨てるのはよい選択ではないとジョブズは感じていたはずだ。だが、彼自身もその後、同じ選択をすることになる。

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