ソニーグループの創業者の一人、盛田昭夫。グローバル型企業経営の先駆者でもある彼の経営者人生は、井深大との「因縁」によって始まった。研究者としても経営者としても類いまれな才能を持った盛田はいかにしてソニーを創り上げたのか。ソニー社史前編「過去最高益で『世界のソニー』再び 社史に見る『井深イズム』という原点」 に続いてお届けする。

盛田(左から3人目)はグローバル経営を精力的に行った。中でも米国でのユニタリータックス(合算課税)撤回については精力的に活動したことで知られる
盛田(左から3人目)はグローバル経営を精力的に行った。中でも米国でのユニタリータックス(合算課税)撤回については精力的に活動したことで知られる

2人の創業者を導いた「因縁」

 井深と共に「世界のソニー」を創り上げた伝説的な経営者が存在する。それは盛田昭夫だ。盛田は1946年に井深と共にソニーの前身となる東京通信工業を創設。71年から76年まで代表取締役社長を務め、その後は会長としてソニーの経営の中枢に君臨し続けた。

 盛田の功績はなんといっても、従業員数20人足らずの小さな町工場であった会社を、世界を席巻する総合電機メーカーへと導いたことであろう。

 そんな世界のソニーを創り上げた盛田昭夫は、21年生まれ。17世紀から続く愛知県の造り酒屋の長男として生まれた。早くから物理学に対する強い興味を示し、名古屋大学の前身となる旧制第八高等学校に進学。その後大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部に進学し、応用物理学の権威である浅田常三郎に師事した。第2次世界大戦の戦火が激しくなる中、浅田研究室では海軍への技術協力を余儀なくされていた。

 そんな中、研究室に出入りする海軍将校と親しくなり、学問への熱意を評価された盛田は海軍への就職を勧められる。徴兵されると研究が続けられなくなるとの理由で、職業軍人になることを決意。大学卒業後は海軍技術中尉として山本五十六が設置した海軍航空技術廠(しょう)に勤務した。

 航空技術廠ではレーダーの研究開発に従事していた盛田は、海軍の新型レーダーの開発グループにて井深と出会う。後にソニーの創業者となる人物だ。盛田は23歳、井深は35歳。12の年の差があったものの、2人は技術に対する熱い思いを通じて親交を深めた。「戦争が終わったら何をしようか」「どんな研究をしようか」、こうした話を夜な夜な語り合ったとのことだが、彼らの共通の思いは「技術をいかに世に広めるか」であったことは想像に難くない。

 運命的な出会いをした2人であったが、盛田が井深の名前を目にするのは実はこれが初めてではなかった。井深が早稲田大学在学中に発明した「走るネオン」を紹介する雑誌記事を盛田少年は読んでいた。盛田は、井深が学生ながら発明をしたとの記事に感銘を受けたという。

 井深との縁はこれだけにとどまらなかった。友人、技術、家族など様々な面で、井深と盛田は出会う前からすでにつながっていた。こうした2人の縁について、盛田はたびたび「因縁」と称している。その因縁は2人の青年を結びつけ、やがて一つのベンチャー企業の創設へと導いた。

 45年に第2次世界大戦が終結すると、盛田は東京工業大学で講師の仕事に従事した。科目は専門の物理学。しかし、すぐにその職を追われることになる。GHQが主導した公職追放だ。就職からわずか数カ月で職を失った盛田は井深を訪ねる。講師の仕事に就く前、たまたま目にした新聞記事で、井深が新たな事業を起こしたことが紹介されていたのをきっかけに、それまでも井深のもとを頻繁に訪れていたのだ。すると、盛田は東京通信研究所の経営への参画の誘いを受ける。創業者である井深が、東京通信研究所の法人化を目指し、本格的に事業経営に乗り出さんとした時であった。

 当初は手伝いとして無給で働いた盛田だったが、法人化の話が本格化したところで専業として創業に参画することを決意。しかし、盛田には一つの懸念があった。前述の通り、盛田は老舗の造り酒屋の長男だ。当時は、長男が家業を継ぐことが期待されており、盛田家も例外ではなかった。

 当然、盛田がベンチャー企業に参画することを盛田の父親から反対されることは予想していた。そこで井深は盛田の実家まで赴き、父親を口説き落としたという。井深は後に「何としても口説くとの決死の覚悟」であったと証言している。このエピソードからも、いかに井深が盛田を買っていたかがわかる。

 井深が拝み倒した結果、盛田の父親は長男のベンチャー企業参画を了承、東京通信工業へのサポートを約束した。さて、46年にようやく動き出したベンチャー企業に取締役として参画した盛田であったが、創業当時は資金繰りに窮した。その時に救いの手を差し伸べたのが盛田の実家だ。盛田家はことあるごとに資金提供を行い、経理担当者を送り込むなど様々な支援を行った。井深と盛田は見返りに自社株を割り当てた。度重なる支援の結果、いつしか盛田家はソニーの筆頭株主となるほど株式を持ったという。盛田がいなければ今のソニーはなかったともいわれるゆえんだ。

続きを読む 2/3 「ソニー」ブランドにこだわり抜く

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