ソニーグループは今や大復活を遂げ、再び「世界のソニー」の座に返り咲いた。コロナ禍で世界的な不景気の波が襲う中、ソニーの2020年度決算では過去最高益の1.1兆円をたたき出している。ソニー躍進の推進力となったのは、かつて主力であった電化製品ではなく、ゲームや音楽といったエンターテインメント事業だった。高品質かつ革新的な電化製品で世界を席巻したソニーは、新たな領域でイノベーションを起こそうとしている。こうした「新生ソニー」の原点を探るために、社史をひもとき、創業者「井深大」の人生を振り返る。

希代のイノベーター、井深大(写真:Fujifotos/アフロ)
希代のイノベーター、井深大(写真:Fujifotos/アフロ)

 井深がイノベーターとしてその才能を発揮したのは早稲田大学理工学部在学中のことだった。社会を変える技術の開発に没頭していた井深は、ネオンが周波数の変化によって伸縮運動をする「走るネオン」を発明し、特許を取得した。「走るネオン」は後に開催されるパリ万国博覧会で優秀発明賞を受賞し、世界を驚かせた。

 大学を卒業後は、東宝の前身となる寫眞化学研究所に入社。しかし、事業の中心が映画の製作であったことから、イノベーティブな製品開発が可能な環境を求めて日本光音工業に転職した。同社ではブラウン管や真空管などの通信機器の開発にいそしんでいたが、盧溝橋事件をきっかけに戦禍が激しくなると会社は軍需製品の開発に注力してしまう。そんな彼はより自由な開発環境を求めて、1940年11月、日本測定器の創業に参画した。同社も軍需機器を専門に開発・製造する企業であったが、井深が強い興味を抱いていたレーダーなどの通信機器の開発に重きを置いていた。この、日本測定器時代に、後の2代目ソニー社長となる盛田昭夫(当時は海軍技術中尉)と出会う。

 終戦間もない45年10月には、東京通信研究所を立ち上げ、戦争からの復興を後押しする社会的に意義のある製品の開発に尽力した。

 電気炊飯器やラジオ・コンバーターなどがそうだ。こうした社会性をうたった背景には、自らが兵器開発に従事した経験があったためと考えられる。戦争のための製品ではなく、人の世のためになる製品を作ることに人生を懸けるとの決意があったのだろう。46年5月には、同研究所を法人化し、東京通信工業と改称した。この東京通信工業こそが後に「世界のソニー」へと変貌を遂げる企業である。井深は、社長の座を元文部相であった前田多門に譲り、自らは専務として経営に携わった。日本測定器時代に知り合った盛田昭夫も取締役としてこのベンチャー企業に参画している。

(写真:Shutterstock)
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