出がらし鉱山に活路
足尾銅山は、栃木県日光市にあった鉱山だ。江戸時代初期に銅の採掘が始まり、多くの銅鉱脈を持ち、足尾は一大鉱山都市として栄えた。だが、掘削し続けたことで鉱脈が枯渇し、採掘量が低下。江戸時代末期には最大時と比較して10分の1程度になっていたといわれている。いわば出がらしの鉱山であり、掘ってもこれ以上は銅が出ない場所との評価がなされていた。だが、古河は、新鉱脈の開発や経営的なメスを入れることで、再生できるともくろんだ。
ただそれはあくまで机上での計画。払い下げ後、想定した鉱脈は見つからなかった。鉱脈が見つからなければ得意の経営改善による収益向上も実現できない。一時、計画は頓挫するかに思われたが、1884年(明治17年)、横間歩大直利(よこまぶおおなおり)という大鉱脈が発見される。見事出がらし鉱山を、大鉱山へと復活させたのだ。

また、古河は鉱山を復活させただけではない。採掘量の見込みが立ったことで、足尾地域で採掘から精錬までを行うワンストップ体制を整備。精錬された銅は海外に向けて輸出され、日本の外貨獲得にも大いに寄与した。足尾は鉱山としてだけでなく、都市としても急速に拡大。一時は4万人近くが鉱山や副次産業に従事するなどの大都市となった。
後編では、この足尾銅山が引き起こした鉱毒事件、そして富士通設立の経緯を紹介する。
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