江副浩正といえば日本の求人市場を形成した第一人者であり、リクルートの創業者だ。新卒学生というマーケットを切り開き、企業と大学生との出会いをつくった。現在はAirレジやスタディサプリなどテクノロジー志向の企業だが、創業時のDNAは実にアナログなビジネスから始まっていた。

 時代の寵児(ちょうじ)としてもてはやされたリクルート創業者の江副浩正。しかし、リクルート事件を引き起こしたことにより会長職を辞任。創業者としてではなく、汚職で論じられることが多かった。だが、最近は時代を読んだ経営力やユニコーン企業の創業者として再評価が進みつつある。そんな江副がつくったリクルートビジネスの原点について解説していく。

 江副の出身大学は東京大学。リクルートの元となった「大学新聞広告社」創業のきっかけは、学生新聞の広告営業だ。在学中に、学生ながら企業との営業を次々と成功し営業ノウハウを在学中に確立。その後、大学新聞広告社を創業し、旧来の学生新聞では難しかった学生と企業の距離を近づけることに尽力した。

森ビルの最上階に設置されたプレハブから始まった

 現代の新卒採用は、大手求人サイトに学生が登録。複数の企業にエントリーするのが基本だ。しかし、半世紀前では大学教授や人づての紹介、大学の求人窓口で求人票を掲載し運良く手に取ってくれることを願うしか方法はなかった。

 そんな旧来の求人方法では新卒学生が良い企業を見つけることが難しかった。一方で企業側も、従来の方法では効率的に求職者にリーチすることが難しいため、優秀な学生群と出会えない。

1962年に発行された企業への招待

 そんな双方の悩みをビジネスにつなげたのが江副だった。1962年、大学新聞広告社が発行した「企業への招待」だ。複数企業が広告出稿した求人を一冊の情報誌として展開。学生はその情報誌だけ見れば就職活動を行えるというモデル。これは、米国の大学で展開されていた新卒向け求人情報誌を模倣し、日本向けに展開したものだ。学生側は手間なく多くの企業を知ることができ、企業は複数の大学に出向かなくても多くの学生に求人できるということで、瞬く間に人気となった。

 今の「リクナビ」に代表されるWeb完結型就職支援サービスと比較すると、実にアナログ。しかし、江副がつくったこのモデルは以降50年以上にもわたるリクルートの目覚ましい成長の源流となった。

 大学新聞広告社は、1963年に日本リクルートセンターと社名を変え、新卒求人においては揺るぎない地位を築くこととなる。革新的な技術は存在せず、あくまでニーズを見つけアナログなコミュニケーション手法と営業力を展開。既存ビジネスを破壊し、リクルート式のマーケットをつくっていく。

 江副の追い風となったのは、意外にも学生運動であった。学生運動が激しさを増すことで、求人窓口や学校新聞との接触が困難な場合もあった。一方「企業への招待」に連絡すればワンストップで大学生とつながることができる。結果、求人窓口や学校新聞のシェアは完全に瓦解。リクルート社は新卒採用における不動の地位を築くことになる。

 そんなリクルート社の縦横無尽のビジネス展開は、既存ビジネスの破壊と再構築へと進むことになる。

続きを読む 2/2 リクルートが縦に横に展開したビジネス

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