前編「日清食品・安藤百福 逆風でも事業に向き合ったシリアルアントレプレナー」では、大阪華銀の破綻により、理事長だった安藤百福が財産没収の憂き目にあった経緯をご紹介した。天国から地獄への境遇変化とも言えるだろう。だが、戦争により事業が立ち行かなくなったときも、GHQ(連合国総司令部)に収監されたときも、百福は絶望することなく再挑戦する。そんな彼の生き方が今の日清食品の原点となっている。

ゼロからの猪突猛進

 財産をすべて没収されてしまった安藤百福。しかし、彼がクヨクヨして立ち止まることはなかった。当時を振り返り、「失ったのは財産だけ」と語っている。

 繊維業、炭焼き、バラック住宅の販売、製塩と来て、ついに百福の人生最大の発明にたどり着く。それは、お湯さえあれば家庭ですぐに食べられるラーメン「チキンラーメン」だ。

 1957年、百福は自宅の裏庭に研究小屋を建築。麺作りについては素人だったにもかかわらず、ゼロからスタートしたラーメン開発。睡眠時間は1日たった4時間、残りの20時間で理想的な配合を見つけ出そうと試作を繰り返す。とにかく作っては食べて評価するの繰り返し。中古の製麺機を購入し、自分の目標とする麺をまずは作り始めた。

 このとき、百福は47歳。織田信長の没年と同年である。そのハードワークを1年間やり遂げたというのだから驚きだ。

安藤百福が自宅の裏庭に建てた研究小屋(再現)(画像提供:日清食品提供)
安藤百福が自宅の裏庭に建てた研究小屋(再現)(画像提供:日清食品提供)

 安藤はラーメンの開発にあたって、5つの目標を立てた。
第一に、おいしくて飽きがこない味にする。
第二に、家庭の台所に常備されるような保存性の高いものにする。
第三に、調理に手間がかからない簡便な食品にする。
第四に、値段が安いこと。
第五に、安全で衛生的であること。

 多くの食品メーカーが大事にする原理原則もこの5つと重複する部分が多いのではないだろうか。現在の日清食品が作る製品群はユニークさや、とっぴな企画性や話題性が売りの場合も多く、「カレーメシ」「カップヌードル 謎肉祭」など話題には事欠かない。だが、大切な指針としてこの5つの目標が受け継がれているため、自然と“日清食品であれば外れなし”といったイメージが定着している。

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