名義貸しですべてを奪われる

信用組合の理事長として執務にあたった頃(画像提供:日清食品)
信用組合の理事長として執務にあたった頃(画像提供:日清食品)

 百福に吹いた逆風はそれだけでは終わらなかった。創業者としてのカリスマ性と知名度のある安藤百福。次に彼が挑戦したのは銀行業だった。大阪で新設された信用組合「大阪華銀」の理事長になってほしいと何度も誘われ、1951年に名義貸しに近い形で銀行業務に参加。百福のこれまでの実績やネームバリューにより、多くの預金が集まることとなった。

 だが、集まったお金を正しく運用できて初めて銀行としての形を成す。百福が理事長を務めた「大阪華銀」は不幸なことに貸し付けがザルであったため、回収の可能性が低い事業や、無担保融資を繰り返してしまった。結果、貸し付けた債権の多くが回収不可能となる。一度坂を転がり始めた石は止まることなく落ち続ける。審査が甘かった分、事業の成長が見込めないだけでなく連鎖的な焦げ付きが起きていった。

 結果、百福は一発逆転のために先物取引にも手を出す。だが、起死回生の一手とはならずゲームセット。百福の理事長就任から6年後の1957年、大阪華銀は破綻する。先物取引を行ったことによる背任行為などで起訴され、執行猶予付きの有罪判決を言い渡された。

 この破綻には、融資に課題があったことも影響した。だが、そのほかに信用組合をサポートしてくれるはずだった銀行側の助けを得られなかったことも、破綻の原因とされている。安藤百福は再び全財産を没収されてしまった。

 余談ではあるが、彼は度々インタビューで銀行について触れている。銀行は金を貸す時には意気揚々と貸し、経営者にとって本当にお金が必要な時には貸し渋る。銀行に頼りすぎる経営に対する警告を発している。

 身ぐるみはがされた百福。だが、ここまで読み進めてきた人であれば理解できるだろう。安藤百福は不倒の人。この絶望の中から、即席麺を発明することとなる。

後編に続く

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