GHQによって収監される

 戦後、1948年、大阪府泉大津市に「中交総社」を設立。翌年には「サンシー殖産」と会社名を変更。大阪市北区曽根崎に移転したこの企業こそ日清食品の前身である。多くの若者たちに奨学金としてお金を渡し、生活のために事業を興した。半ば慈善事業のごとく行くあてのない若者たちを集めて、漁業や塩の生産などを行う。そんな若者たちの働く場をつくる百福。皆が自分のことで精いっぱいだった戦後の混乱期に他者を巻き込んで、幸せにしていく姿勢によってある意味で奇怪な人物だと評されることもあったという。

 そんな百福の生きざまが、やがて大きなトラブルを生み出すこととなる。その相手はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)だ。中交総社の事業に脱税の嫌疑がかけられたのだ。

 彼にとっては慈善事業という発想での活動だった。だが若者たちへの奨学金は給与に当たると指摘される。お金を渡すのであれば源泉徴収して納税すべきだ。それを行わず、サンシー殖産と百福は脱税をしようとしているということだったのだ。

 その実態はしっかりと調査されることなく結審された。弁明の余地なく、不当な裁判をされたと百福本人は述懐している。収監からたったの1週間で有罪判決が言い渡され、4年の重労働の刑と全財産没収となってしまった。

 それに対して百福も反抗。弁護団を組織し、GHQから支持を得た税務署を相手取り反訴した。結果的には安藤百福の主張に分があり、反訴された税務署側は司法取引を持ちかけることとなった。当初は徹底抗戦に臨んだ百福ではあったが、2年の収監の後、訴訟を取り下げることに。彼の事業は一旦の清算を行い、売却益は従業員たちの退職金として割り当てられた。

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