福島:ええ。最後の最後、民事再生を決断するきっかけになったのが、メインバンクが国有化されたことです。うちへの債権が誰の手に渡るのか、先行きが一気に見えなくなりました。

 当時、私は「危機リスト」をつくっていました。「こういうことが起きたら困る」と思うことを列挙し、いざ起きたときに取れる策を図表などにしてノートやエクセルファイルに記録していました。大地震だとか、全株式を握る父が急死する場合など、考えられる限りのリスクを並べた中に「取引銀行の経営危機」があり、そこで打てる手として「民事再生」がありました。

 国有化の報道を聞いて「今だ」と思い、その日のうちに顧問弁護士の事務所を訪ねました。先生は私の考えをすぐ理解し、再生案件に強い弁護士をそろえてチームを組む手はずを整えてくれました。

法的整理も1つの選択肢

星野:私はそのきっかけがなくても、どこかで民事再生のような大きな勝負に出ることは必要だっただろうと思います。巨額の債務を引きずったまま、本体を良くしていくのには無理があります。
 その後は、自力再生ですか。

福島:はい。利益が出る態勢はできていたので、スポンサーを入れずに再生しました。3年後に再生計画が終結。それに伴い、会社の全株式を私が取得し、08年に社長に就任しました。

星野:結果として良かったのですね。後継者が法的整理に踏み切る形の再建は1つのパターンで、私はほかにも似た事例を知っています。後を継ぐことになって初めて知る債務超過。そこで資産を売却し、本業を立て直しつつ、最後は法的整理で大きく債務をカットする。そうして初めて、会社を変革し、発展させる道が開ける。

 特に00年代は、そういうケースが多かったですね。特筆すべきは、企業再生に奔走した弁護士の方々の活躍です。長期的な視点に立てば、事業に思い入れが深い同族に再建を委ねるべきと考える先生が少なからずいて、意欲ある後継者たちを支えてくれました。

福島:うちを担当された先生も「今の経営者の復活こそが再生の本質だ」という信念をお持ちでした。民事再生に踏み切った後は、外資系ファンドなどから支援の申し入れが相次ぎ、同族が経営を担うことへの反発もありました。難局を乗り切れたのは、先生たちの献身的な尽力があったからです。