星野:でも、会社が窮地に追い込まれなければ、後を継ごうとは思わなかったわけですよね。
石坂:それは、そうですね。目標はやはり、ネイルサロンの開業でした。貯金もできて、子供も育ち、そろそろやろうかな……。なんて思っていたところに、会社が大騒動に巻き込まれてしまった。
星野:大バッシングにあった。
石坂:それはすごかった。本社の前に〝闘争小屋〟ができ、「出て行け!」という横断幕が……。
星野:そこで初めて事業を継承する気になった。
激しい怒りが人生の転機
石坂:それまでも薄々感じていた、産廃業者への理不尽な処遇に対する憤りが、ふつふつ湧き上がったのです。それで「私が何とかする。やってやるぞ!」となった。
子供を産んだことも大きかったと思います。社員にとって、うちで働くことは「これがお父さんの仕事だぞ!」と、胸を張って自慢できることなのかな、と考えた。「現状では、やっぱり違うだろうな」と思うと、やりきれなかった。ならば、現状を変えていきたい。業界そのものを変えたい。そんな思いが芽生えたのです。

星野:それで、お父さんに「社長をやらせて」と切り出した。
石坂:そう、勢いこんで直訴しました。ところが、ピシャリと却下。
「女にはとてもできない。そんなに甘い業界じゃない」と。
けれど、ものすごいピンチでしたから、父もさすがに考えたのでしょう。1週間ほどしたら、私を呼び出して「チャンスをやる」みたいなことを言うのです。代表権のない社長をやらせてやる。ただし、1年で成果を出さなければ更迭。「お試し社長」だぞ、と。
星野:そんな逆境でなければ、お父さんも、娘に継がせる決断はできなかったのでしょうね。
石坂:そうですね。私には弟もいますから。妹も含めて3人兄弟。ただ、当時、父の会社で働いていたのは私一人だったのです。
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