会社のピンチは事業承継のチャンスである
第5回:石坂産業・石坂典子社長と考える「継ぐ者の覚悟」
【視点】
経営者になって25年、自分が次世代に何を残すべきかを考えると、ファミリービジネスの後継者としての知見だと感じます。
私の経営者としての出発点は、温泉旅館の跡取りです。だから、私の経験が、ベンチャー起業家や内部昇格で社長になった人に役立つかというと、実情に合わないところがあるはずです。一方、中小企業を中心とするファミリービジネスの経営者の疑問や悩みに答える人間としては、比較的適しているでしょう。
しかも日本経済に占める同族企業の比重は大きく、経営学の世界ではまさに今、研究が進んでいる分野です。実務と学問の世界をつなぎ、次世代の経営をより良くする指針を残したい。
そこで今回、産業廃棄物処理業の石坂産業(埼玉県三芳町)の石坂典子社長と対談しました。
互いの経験を重ね合わせ、事業承継に共通する構造を探ります。
※ 石坂産業の石坂典子社長について詳しく知りたい方は、こちらの連載を、ご参照ください。
石坂産業が保全、再生する森林を見学。その間にも、活発な議論が交わされた(写真:栗原克己)
星野:石坂社長は、会社が絶体絶命のピンチに陥ったとき、お父さんに志願して社長になったと聞きました。会社にとってのピンチは、実は事業承継のチャンスなのじゃないかと、私は考えています。
石坂:確かに、そうだったかもしれません。私たち石坂産業は14年前まで、産廃の焼却を主力にしていました。しかし1999年、本社に隣接する埼玉県所沢市の農作物に高濃度のダイオキシンが含まれているとの報道がありました。その原因が、この地域に多かった産廃業者の焼却炉だということで、批判にさらされたのです。特に焼却炉が大きくて目立った石坂産業は、2001年、地域住民から事実上の廃業を求める訴訟を起こされました。
星野:そんな危機の最中に「社長をやろう」と思い立ったわけですね。なぜですか。それまで、社長になる気なんてまったくなかったというじゃないですか。
「コンパニオン」の勘違いで、父が愕然
石坂:はい。ネイルサロンを開業したいと思っていました。
高校卒業後、「インテリアの勉強をする」と米国に留学したものの、早々に退学。その後、米国を旅行して回っているとき、ネイルサロンの存在を知り、「これを日本に持ち込み、起業しよう」とひらめいた。ちょうど父も「娘は米国で一体、何をしているのか」と心配していたので、帰国することにしました。
その後、起業資金を稼ごうとイベントコンパニオンのアルバイトを始めたら、父がまた「何だ、その仕事は?」と気をもんだ。バーのホステスみたいな仕事だと勘違いしたんです。「そうではなくて、展示会で商品の説明をしたりする仕事なのですよ」と説明しても、父の耳にはまったく入らない(苦笑)。
最後は 「そんな仕事をするくらいなら、うちで働け!」と叱られ、20歳で事務職として入社しました。月給は15万円くらいでした。
星野:いやあ、石坂社長は、いい子供ですよね。そんな言い方をされたら、普通は入社しませんよ。
石坂:うーん。そのとき、何となく父が寂しそうに見えたのですよ。寂しいから、娘を近くに置いておきたいのかな、と思って。
星野代表。後継者である石坂社長の「父に対する優しさ」に感心することしきりだった(写真:栗原正巳)
星野:優しいですね。女性ならではでしょうか。それなら娘に継がせるって、いいものですね。自分自身を振り返っても、息子は概して父親に厳しいですよ。私には反抗期真っ盛りの息子しかいませんが、娘がいたら、ぜひ娘に継がせてみたい(笑)。
石坂:それに、いざ入社してみると、父の会社に対するイメージがいい意味で変わったんです。
中学生や高校生の頃は、同級生の親御さんなどから「特殊な商売の家の子」と見られているのを感じて、父の仕事を「格好いい」とはなかなか思えませんでした。
父の仕事が「格好悪い」
星野:私もです。子供の頃、父が経営する旅館を、どうしても「格好いい」と思えなかった。建物は老朽化していて、お客様も宴席などでの行儀がいい人ばかりはなかったですから。
石坂:けれど、現場のすぐ近くで社員の働きを見ると、本当にハードで、すごく頑張っているんです。しかも、産廃処理は本来、社会的に意義ある仕事じゃないですか。なのに世の中には蔑むような空気があって、理不尽だと感じるようになりました。
社員への感謝の念も湧きました。振り返ると、幼いころから、うちの自宅は引っ越すたびに大きくなっていたのです。最初は掘っ立て小屋みたいだったのが、少しずつ立派になって。父が一代で、会社を大きくしましたから。けれど、それはつまるところ、父の下で一生懸命、汗を流して働いてきたこの人たちのおかげだったのだ。30代を目前にする頃には、そう思えるだけ、私も大人になっていました。
星野:でも、会社が窮地に追い込まれなければ、後を継ごうとは思わなかったわけですよね。
石坂:それは、そうですね。目標はやはり、ネイルサロンの開業でした。貯金もできて、子供も育ち、そろそろやろうかな……。なんて思っていたところに、会社が大騒動に巻き込まれてしまった。
星野:大バッシングにあった。
石坂:それはすごかった。本社の前に〝闘争小屋〟ができ、「出て行け!」という横断幕が……。
星野:そこで初めて事業を継承する気になった。
激しい怒りが人生の転機
石坂:それまでも薄々感じていた、産廃業者への理不尽な処遇に対する憤りが、ふつふつ湧き上がったのです。それで「私が何とかする。やってやるぞ!」となった。
子供を産んだことも大きかったと思います。社員にとって、うちで働くことは「これがお父さんの仕事だぞ!」と、胸を張って自慢できることなのかな、と考えた。「現状では、やっぱり違うだろうな」と思うと、やりきれなかった。ならば、現状を変えていきたい。業界そのものを変えたい。そんな思いが芽生えたのです。
石坂社長。「会社がピンチに追い込まれなければ、跡を継ごうと思わなかっただろう」と振り返る(写真:栗原正巳)
星野:それで、お父さんに「社長をやらせて」と切り出した。
石坂:そう、勢いこんで直訴しました。ところが、ピシャリと却下。
「女にはとてもできない。そんなに甘い業界じゃない」と。
けれど、ものすごいピンチでしたから、父もさすがに考えたのでしょう。1週間ほどしたら、私を呼び出して「チャンスをやる」みたいなことを言うのです。代表権のない社長をやらせてやる。ただし、1年で成果を出さなければ更迭。「お試し社長」だぞ、と。
星野:そんな逆境でなければ、お父さんも、娘に継がせる決断はできなかったのでしょうね。
石坂:そうですね。私には弟もいますから。妹も含めて3人兄弟。ただ、当時、父の会社で働いていたのは私一人だったのです。
星野:いざ社長に就任した後、お父さんはどうでしたか。
石坂:もう毎日、怒鳴りっぱなしですよ。私の提案を何であれ却下するんです。「おまえなんか、もう出て行け!」とかね。星野代表は、言われませんでしたか?
星野:ええ、言われました。それで本当に出て行ったんです。
石坂:え?
星野:私は父の会社に入社した半年後、半ば追い出されるような格好で退社しました。さらに2年後に、取締役会で社長だった父を解任し、社長に就任したのです。
跡取り息子の試行錯誤
石坂:最初から後を継ぐつもりだったのですか。
星野:温泉旅館の長男に生まれちゃいましたからね。「いずれは継ぐのだろう」と思っていましたが、先ほど申し上げた通り、「格好いい仕事」とは思えなかった。
石坂:乗り気ではなかった?
星野:ええ。大学生まで、私のアイデンティティーは「温泉旅館の後継ぎ」ではなく、「スポーツ選手」でした。慶応義塾大学アイスホッケー部で主将をしていて、それが生活のすべてでした。
だから、部活を引退して「スポーツ選手」でなくなった途端、途方に暮れてしまった。自分が何者だか分からない、アイデンティティー・ロスに陥ったのです。
星野:そこで米国の大学院に留学しました。大学時代にハワイのリゾートホテルを見て「格好いい」と思ったからです。同じ宿泊施設でも、父の温泉旅館とは全然違う。「うちの実家を、あんなふうにしよう」と考えたわけです。
しかし、米国でできた友人たちは一様に、私の考えに否定的でした。「日本で100年近い伝統を持つ旅館が、なぜ欧米のモノマネをしたがるのか」と。そんなのは「格好悪い」という評価なのです。
そこで私が達した結論は「温泉旅館を格好よくしよう。自分にはこの道しかない」。格好悪くても引き継ぐ。けれど、世界に誇れるものに変えていこうと思った。
そのために、自分はどうあるべきか。そこで「いい経営者」になるのだと決意した。こうして私は、「いい経営者を目指す」という、新しいアイデンティティーを得て、帰国したわけです。
なぜ、父を解任したのか
石坂:いよいよ後を継ぐ覚悟を固めたわけですね。けれど、お父さんと衝突してしまった。
星野:父のやり方が、私の考える「いい経営」と、あまりにかけ離れていたのです。
「いい経営」とは、従業員がモチベーション高く、いきいき働き、それが顧客満足につながるような経営。そんな好循環が生まれる良いチームをつくり、支援し、リードするのが「いい経営者」。それが米国で学んだ私の考えでしたが、父のスタイルはまったく違った。パワフルだが独善的で、従業員を軽んじていると、私は感じました。
ただ、私は一気に改革せよと迫ったわけではありません。「最低限、公私混同はすぐやめよう。会社のお金やモノを、経営者一族の生活に使うのはやめよう。隠しているつもりでも従業員は見ているし、それではモチベーションが上がらない」。最初の一歩として、そう控えめに主張したつもりが、逆鱗に触れた。しかも私の主張を支持する人も出てきたものだから、平穏だった社内がざわついたのです。そして父と雌雄を決するしかない状況に至ったわけです。
石坂社長の場合は、会社がピンチに陥ったから、後を継ぐ覚悟が固まった。一方、星野代表は、後を継ぐ覚悟を固めたことで、社内が一時、混乱した。いずれにしても、先代との関係は一筋縄では行かないのですね。
星野:「いい経営」の基準は、時代によって変わります。だから、世代交代の時期に、新旧の価値観が衝突するのは、無理からぬところがあります。石坂社長の場合、お父さんとの関係はソフトランディングでしたが、それは、会社が置かれた環境がハードだったから、お父さんが折れたという側面があります。一方、私と父は、ハードランディングでした。ただ、ハードランディングが一概に悪いわけではありません。次回は、この問題を深めていきましょう。
(この記事は日経BP社『日経トップリーダー』2016年3月号を再編集しました。構成:小野田鶴、編集:日経トップリーダー)
石坂社長の著書『五感経営 ― 産廃会社の娘、逆転を語る』が好評販売中です。
日経ビジネスオンラインの連載「ドラ娘がつくった『おもてなし産廃会社』」に、大幅に加筆、編集しました。
名経営者による「会社見学記」も掲載
「肩肘張らずに自然体。それでもなぜ胆が据わっているのか」
――伊那食品工業株式会社 取締役会長 塚越 寛氏
「後継者にしたい娘ナンバーワン、優しそうに見えて実は……」
――星野リゾート代表 星野 佳路氏
<主な内容>
【CSV編】グローバルに考え、ローカルに行動する
【リーダーシップ編】しつこいトップダウンに始まり、おおらかなボトムアップに至る
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