とようけ屋山本で、現在、会長をつとめるのが、山本久仁佳(くによし)さん、80歳です。

 三代目の社長として長く活躍された山本さん。社長の座を息子さんに譲り会長に就任された今も、夜の10時にお店に入り翌日の仕込みを始め、美味しい豆腐を作るために、精魂込めて働いていらっしゃいます。しかし、ここに至るまでの道のりは決して順風満帆なものではありませんでした。実は「とようけ屋山本」には、山本さんが社長を継いでから3度も大ピンチが訪れ、その度にそれを乗り越えてきた苦難の歴史がありました。

夜10時から翌日の仕込みを始める山本会長

 地元の老舗豆腐店が、世界中からここの味を求めてお客さんが詰めかける人気店になるまでの波乱万丈の歴史と共に、成功のメソッドをひも解いていきましょう。

【とようけ屋 山本の「こだわり」メソッド】
【メソッド1】(???)を捨て採算度外視で味を追求
【メソッド2】(???)にこそ大切なメッセージがある
【メソッド3】(???)は素直に認める柔軟な(???)
【メソッド4】味を守り続けるために(???)ない

 では、メソッド1を見ていきましょう

【メソッド1】(???)を捨て採算度外視で味を追求

 とようけ屋山本は1897(明治30)年、「山本豆腐店」として創業しました。「にがり」にこだわった「美味しい木綿豆腐のお店」と言われ京都・西陣でも評判の豆腐店でした。そして、1959年、山本さんが三代目を継ぎました。

 しかし、いきなり試練が訪れます。

つるっとした食感の豆腐に、途方に暮れました

 当時の京都では、京豆腐の中でも、それまでにはなかった「すまし粉」を使う、つるっとした食感の「嵯峨豆腐」が流行り始めていました。京都の人は、新しい食感の「嵯峨豆腐」を好むようになり、古いスタイルのにがりを使った豆腐からは離れて行ってしまったのです。三代目を継いでいきなりのピンチです。

 「いやはや、あの頃は途方に暮れました」と山本さんは笑顔で当時を振り返ります。悩んだ山本さんは、他の豆腐店を見て回り、流行りの「嵯峨豆腐」を徹底的に研究したそうです。結果、その味は認めつつも、山本さんなりの答えを出しました。「結局、基本はお客さんが『食べやすいかどうか?』なんです。他のお店と同じようなものを作るのではなく、自分の店の豆腐の味をどうするかが大事だという事に気付いたんです」。

 そこで山本さんは、昔ながらの「にがり」を使った豆腐を、もう一度見つめ直しました。そして、その味を極限まで高めることを決意します。

 しかし、そのためには、先代から受け継いだ製法を変える必要がありました。

国産の最高級品を使用することにして、コストは5倍に

 山本さんは、大胆にもそれまで使っていた外国産の大豆をやめて、国産の最高級品に切り替えることにしたのです。1897年から続いてきた伝統の製法を変えることに抵抗はなかったのでしょうか?「オヤジは気に入らなかったでしょうね(笑)だから『気に入らなかったら、出ていけと言ってください』と話したんです」。

 最悪、「三代目を捨てること」を覚悟の上で取り組んだ新しい豆腐作り。その結果、できた新しい豆腐は、それまでの豆腐と比べ、大豆の味と香りが良くなり美味しくなりました。しかし、当然のことながらコストは格段に跳ね上がります。その額、今までの……5倍! え? 5倍ですか? ということは、必然的に販売価格も上がりますよね。大丈夫なんでしょうか?

 ところが山本さんは、商品を決して値上げしませんでした。

 え? コストは5倍なのにお値段据え置き。いくらなんでも無理があると思うのですが、山本さん!

「まずは、この豆腐を知ってもらうことなんです。材料がいくら、手間賃はいくら、だから値段はいくら。その『そろばん』は後からです」

 目先の利益よりも、自分とお客さんが美味しいと思う豆腐を作る、それだけに執着したのです。そしてこの作り方に変えておよそ3年後、遠のいていた客足が徐々に戻り始めました。いや~3年ですか! ひと口に3年とはいえ、この3年間は相当のご苦労があったことと思います。ただただ、美味しい豆腐を作りたい! という思いが山本さんの支えでした。

【メソッド1】( 伝統の製法 )を捨て採算度外視で味を追求