厳しい経営状況の中、必死に店を切り盛りしていると、当時の製麺所近くにあったラーメン店「しゃかりき」の店主から「ある麺」の依頼がありました。当時、東京でブームとなっていた「つけ麺」の依頼でした。つけ麺は、スープが主役の「ラーメン」とは違い、主役はむしろ麺なのです。麺が美味しくなければつけ麺は成り立ちません。

 しゃかりき店主の梶充秀さんは当時を振り返ります。「当時、東京で流行っていたつけ麺をやりたいと言ったんです。でも周りは「そんなのは一時のブームや。京都では絶対に売れへん!『絶対』って言われたんですよ。知っている麺屋さんに頼んでも少し太いチャンポン麺ぐらいを持ってきてもらうのが普通でした」。

 当時、どこの製麺所もつけ麺に対して耳を傾けようともしなかったそうです。

 今となっては信じられないような話ですが、新しいことを始めようとすると、いつの時代も厳しい道のりからのスタートですよね。

ゼロから麺を開発しよう

 他の製麺店が断り続けた中で、棣鄂にとっては、千載一遇のビジネスチャンス! それまでは、先代から受け継いだ2種類の中華麺を自社工場で大量に作り、できた麺を売りに行く、というスタイルでした。が、ここで2人は、勝負に出ます! ゼロからつけ麺に合う麺を開発することにしたのです。

 工場長・和典さんは「資料や本を読み漁って麺のことを基礎から学び直し、東京に何度もつけ麺を食べに行きました。でも麺を作る度にしゃかりきさんからは、色々な注文が来るんです。『もう少しモチっとさせて欲しい』とか。でも、コッチはまだ勉強中だから『モチっと』のさせ方が分からなくて、立ち尽くすしかなかったんです」モチっとシなくちゃならないのに、ボーッとしてたんですね。でも仕方ないですよね。今までは代々受け継がれてきたレシピに沿って2種類の麺しか作っていなかったんですから……。

麺の開発には手間をかけた

 2人は、夜な夜な工場にこもり、麺を作り続けました。小麦粉の種類や水分量、切り方など、あらゆる方法を試し続け100種類以上の麺を試作したそうです。

 そして、1年に及ぶ試行錯誤の末、ようやく店主が納得するつけ麺の麺が完成したのです。今では、このしゃかりきのつけ麺こそが、京都のつけ麺ブームの火付け役となったと言われているんです。

 今となって振り返る1年と、先の見えない1年の違いは読者の皆さんもよくお分かりだと思います。その1年間の苦労は相当だったことでしょう。

 しかし、この成功で棣鄂は大きな決断をします。

 これを機に麺屋棣鄂は「オーダーメード専門の製麺所」としてやっていく決意を固めたのです。

【メソッド1】大量生産から( オーダーメード )の製麺所に変えた

 次はメソッド2です。

【メソッド2】顧客の要望に応えるため(???)を惜しまない

 工場の奥の倉庫には、作る麺の種類に応じて硬さや、色、風味などの特徴を出すために約40種類の小麦粉の袋がうず高く積まれています。普段あまり見ることはありませんが、小麦粉も小麦の種類、育てられた場所によって様々な特徴の小麦粉になるのです。

 さらに麺屋棣鄂の最大の特徴といえるのが「切り歯」です。切り刃は麺の切断の際にとても重要な役割を果たします。この切り歯の形状によって「ちぢれ」や「ストレート」など麺の形状が決まるのです。麺屋棣鄂は様々な店主の要望に応えるために、数多くの切り歯を作り、揃えました。その切り歯の種類、なんと60以上。コレだけの切り歯を揃えるまでに費やした費用はおよそ600万円! 結果、ここまで多くの切り歯を持っている製麺所は、日本には殆どないそうです。

麺を切る刃の種類も豊富