上泉:創業前に、いろんなお店に行ってお客様の人数や客単価などを調べたそうですね?

小嶋:気になる飲食店を片っ端から回り、開店から閉店まで、電柱の陰でずっと見ながら、お客さんの数を調べました。どの時間帯がピークで、客単価はいくらか。そして材料の原価を市場で調べて、家賃の相場を調べて、人件費を加えて、50軒ほどの損益表を作りました。お客さんが何人来てそうだという予想では意味がないんです。実際何人来ているのか、正確な数字は事実ですから、信頼できます。

 ただ、お店からしたら迷惑だったようで、店主に水を掛けられたこともありました(笑)。

 小嶋会長が1号店の場所に選んだ淀川区の十三には、14~15軒の寿司屋が並ぶ「寿司屋通り」があった。そこを目掛け、寿司を食べたいと考えるお客様が来るだろう、と小嶋会長は読んだ。この通りには、北大阪で一番と言われるような高級寿司店と、大衆向けの両極端の店があった。その間を埋めるような店をつくれば、十分に利があると考えた。

お客さんがどんどん来てくれると思ったんですが……

上泉:がんこでは、それまでの寿司屋の相場よりリーズナブルで、質のよい寿司を出そうとされてきました。でも、最初はなかなか厳しかったそうですね?

小嶋:私は大阪でも屈指の高級寿司店で1年間修業しました。その店で出すのとほとんど変わらない水準の魚を扱って、価格は5分の1程度に設定しました。だから、いつでもお客さんはどんどん来てくれると思っていたんです。新聞社の知り合いに売り込んで記事にしてもらったり、はがきを配って宣伝をしたり、自分にできる限りのことをしたつもりでした。しかし、そういう努力でお客さんが来てくれたのは、開店から1週間だけ。その後4~5カ月間は、お客さんゼロの時間帯のある状態が続きました。

 寿司屋通りならお客さんが来てくれるだろうと踏んでたんですが、よく考えたら、皆さん行きつけの寿司屋があるんです。目的の寿司屋が休みだったりして、たまたま間違って入って来てくれる人がいる程度で(笑)。

 それで資金が枯渇して、仕入れもできない、明日どうしようか、という状況のときに、急にお客さんが増え始めたんです。

上泉:たまたま来てくれたお客さんが、後でお得意様になってくれたんでしょうか?

小嶋:あるいは口コミか、いろんな要因が重なったのでしょう。経験して分かったことですが、お客さんは少しずつ増えるのではなく、ある時期に、急にどんと増えるんですね。

上泉:あ、そうなんですか! そこから、行列のできる人気店になっていきましたね。

小嶋:4坪半の、カウンターに十数人が座れる程度の小さなお店だったんです。それで、外に折り畳み式の机を置いて、立ち食いしてもらっていました。店内より外の方がお客さんが多かった(笑)

上泉:急に、ドーンとくると、確かに追いつけませんわ。

小嶋:2階建ての木造家屋で、2階に6畳と3畳の部屋がありました。6畳の部屋で若い衆3人と寝て、隣の3畳の部屋で、若い衆がしゃりを炊いていたんです。隣の部屋から、蒸気とともにすし飯の匂いが部屋中に充満していました(笑)。

上泉:ずっとすし飯の匂いがしていたんですね。

小嶋:そのうち、2階を何とか店にしようと、階段をつけました。スペースがないので、ハシゴのような急な階段です。それで、2階の2つの部屋をカウンターだけの店にしたんです。

 じゃあ私はどこで寝ようかと思って、屋根裏を覗いてみたら、スペースがありました。そこにネズミよけにトタンを張って、1人で寝ていました。今でいうカプセルホテルですよ(笑)。

上泉:そこまでしても追いつかないくらい、お客さんがどんどん増えて……。

小嶋:この頃は、ビックリするくらいお客さんが来てくれていました。寿司の値段は今の10分の1くらいだったと思いますが、それで月商 250万円くらい売り上げていました。

 ネタは必ず両サイドに垂れるくらい大きくして、一皿に3貫載せていました。店には大きく「マグロ一皿30円」なんて値段を書いていましたが、さすがに3貫でこの金額はないだろうと、みんな一貫の値段と勘違いして最初は恐る恐る頼んでくれていました。