1号店を出店した当時は、まだ均一価格ではなく、150~350円の低価格で展開していた。売り上げは伸び悩み、創業1年目は常に「倒産」の二文字が頭にちらついていたという。

大倉:開業から4カ月は、自分の地元だったので友人や親が来てくれました。損益分岐点は、1日の売り上げが5万円だったのですが、6万円くらいは売り上げていました。しかし、知り合いが来てくれる頻度がだんだん落ちてきて、5カ月目から赤字に入ったんです。低価格で若い人を対象にしていたのに、俊徳道はやはり若い人が集まる場所ではなかったんだなと痛感しました。何より、価格設定にインパクトがなかったんだと思います。

上泉:そこで、均一価格に大きく舵を切られました。このアイデアはどこから出てきたものなのでしょうか?

大倉:実は、20歳の頃によく通っていた炉端焼き屋さんが均一価格だったんです。これは面白いなと思ってずっとアイデアを温めていました。ただ、均一価格にすると原価率が上がりますし、利益が出ないのではないかという怖さがあり、創業当初は思い切れなかった。でも、もう倒産がちらついていましたから、ここは勝負するしかないと思いました。

上泉:その勝負は、誰かに相談されたんですか?

のちの専務には反対された均一価格

大倉:決めた後で報告という形ですが、当時アルバイトだった今の専務(中西卓己氏)に話しました。

上泉:のちの専務は何と?

大倉:反対されましたね(笑)。

聞き手の上泉アナも思わず苦笑
聞き手の上泉アナも思わず苦笑

 のちの専務が反対したのは、均一価格ではなく、そのことで瓶ビールの提供を止めざるを得ないことに対してだった。瓶ビールでは採算に乗らないので、原価率の安い生ビールに切り替えることになる。当時、たいていの店では、生ビールは夏だけで普段は瓶ビールを扱っていた。フルシーズン生ビールだけを扱うというのは、かなりの冒険だったといえる。
「社長、瓶ビールには注ぎ合う楽しさがあるんですよ。会社員のお客様が来られたときに、部下が上司にお酌したりするのがいいんです。それがなくなったらお客様来てくれないですよ」と専務は訴えた。それでも、「背に腹は代えられない」という思いで、大倉社長は均一価格に踏み切った。

上泉:均一価格にしてみて、いかがでしたか?

大倉:すぐに爆発的に売れるようにはなりませんでしたが、手応えは感じました。「どれも同じなの?」ってお客様の反応は良かったですね。今のようにまだ100円均一の雑貨店(いわゆる「百均」のこと)も世の中に広まっていない頃ですから、皆さん驚かれました。

上泉:どれを頼んでも同じ金額なので、大阪人だったら絶対、「これ、どれが一番得なん?」って聞きますよね(笑)。

大倉:それを探す楽しさがありますよね。

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