この連載では、関西ならではの着眼点、ど根性、そしてユーモア、独自の手法で成功した「ナニワ的」企業を取り上げてきました。今回から4回にわたり特別編を掲載します。まず、一代でお好み焼きチェーンを築きあげた千房の中井政嗣社長に、MBS(毎日放送)の上泉雄一アナウンサーがインタビューします(前回の記事はこちらをご覧ください)。

上泉:外食が不況だと騒がれる昨今でも、千房さんには関係ない感じですね。でも、ここまでの道のりは平たんではなかったとか。

中井:はい。まぁ、運が良かったのでしょうね(と、にっこり)。

 「例えばですね。今、大阪の道頓堀にある千房道頓堀ビルなんですが……」。中井社長は話を続ける。

 時は1990年、まだ日本中がバブル景気に浮かれていた頃、その土地は1坪が1億269万6000円、地下1階地上7階建てビルの総額はなんと49億6000万円にも及んだ。42歳にして全国展開を進めたものの、実際の店舗はテナントばかりだった。何としても自社物件を持ちたいと周囲の大反対を押し切り、夢と勢いだけの気持ちでビルを建てた。

中井政嗣(なかい まさつぐ)
1945年奈良県生まれ。61年奈良県當麻町立白鳳中学校卒業し、乾物屋に丁稚奉公。67年に大阪・住吉区でお好み焼店を受け継ぎ、73年に千日前に「千房」を開店した。その後支店を増やし全国に展開。複数の業態を開発し、海外へも進出している。社長業のかたわら86年に大阪府立桃谷高等学校を卒業。刑務所内での採用活動にも取り組む(写真:菅野勝男、以下同)

 ところが途端にバブルがはじけ、景気は急な下り坂を転がり落ちていく。どん底では物件の価格は3億円までに暴落。これでは、いくら本業が好調でも、債務超過と見なされれば銀行からの融資も止まりかねない。絶体絶命の状況が続く中、従業員の給料を3分の1カットし、ボーナスは3回なしという苦しい状況に陥る。それでも一人の退職者も出なかったという。

 そんな折、松下電器産業の山下俊彦相談役(当時)から激励の手紙が届く。「(中略)もしこのビルが何事もなく無事に成功したとすれば、将来に大きな危険をはらんだことになります。今だから乗り越えられるのです。しかも千房にとっては全従業員が一丸となってことにあたるという貴重な経験です。企業が永続するためには10年に一度くらいこのような経験が必要です。〝悪を知らぬ善はもろい“と言われます。苦しい経験のない企業も体質は弱くなるのです。(中略)千房も体質の強い企業への第一歩を踏み出したのです(後略)」。この手紙が大きな励みになったという。

上泉:一番苦しいときにこういう手紙が届くこと自体、運が良いという一言ではすまん、何かがあるんでしょう。