もとは1899年(明治32年)、京都と福知山で運行されていた山陰本線。昭和40年代までは蒸気機関車も走り人々の生活を支えていました。保津峡に沿って走る姿は風情がありましたが、1989年(平成元年)に輸送力を改善するため保津川沿いの曲がりくねった線路ではなく、その越えていた山々にトンネルを通す最短ルートが設置されました。これによって従来の線路は廃線となってしまいました。しかし、この場所は京都西部の嵐山から保津峡を渡り亀岡へと抜ける美しい自然に恵まれた全国屈指の景勝地。この廃線は景観を生かすため、観光列車の線路として再利用されることになりました。

エリート街道から部下8人の会社へ

 そこで新会社の社長として白羽の矢が立ったのが、今回の主人公・嵯峨野観光鉄道の前・社長、長谷川一彦さん(69歳)(2016年4月現在) なのです。

 1990年当時44歳、JR西日本で部下100人を率いエリート街道を進んでいた長谷川さん。周囲からは3年持てば御の字とも言われていた、部下8人、資本金2億円のこの新会社への辞令は左遷とも取れる厳しいものでした。

嵯峨野観光鉄道に来たときは「人生終わったかな」と思ったという長谷川さん
嵯峨野観光鉄道に来たときは「人生終わったかな」と思ったという長谷川さん

 今では「人生終わったかな、と思いました」と笑顔で話す長谷川さん。

 しかし、負けず嫌いの性格と「お客様に何とか喜んでいただきたい!」との思いから行動に移ります。

 ここで嵯峨野観光鉄道の成功メソッドを見ていきましょう。

【嵯峨野観光鉄道の成功メソッド】
【メソッド1】自ら(???)することで社員の(???)を高めた
【メソッド2】(???)の悪さが非日常の世界に調和
【メソッド3】地域住民と(???)が路線の名所に
【メソッド4】(???)は設けず 自然の景観を守った

 そのメソッドを順にひも解いてまいりましょう。

【メソッド1】自ら(???)することで社員の(???)を高めた

 長谷川さんの思いは「どうせ3年で終わるなら何か“証”残そうじゃないか!」というものでした。まず取り掛かったのは3年間放置されていた線路の整備。雑草の除去、枕木の交換、レールの研磨……などなど。全長7.3kmの線路を自ら先頭に立って9人で整備を始めました。

 「社員は上司を見ているんですよ! ともに苦労した仲間と一緒に会社を良くしたいという思いなんです」と長谷川さん。

 番組コメンテーターで経営コンサルタントの小宮一慶さんも「指揮官先頭」という言葉を常々話しています。リーダーが口ではなく手を動かすことの大切さを改めて実感いたします。

【メソッド1】 自ら( 行動 )することで社員の( 結束 )を高めた

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