その会社を見事に立て直したのが、7代目社長・小林昌平さん。そのお話から、時代を超えて、また新たな大阪を代表する手土産を目指す、あみだ池大黒の成功のメソッドに迫ってみましょう。

【あみだ池大黒の「復活」メソッド】

【メソッド1】(???)が200年の伝統を守った
【メソッド2】社運をかけた(???)おこしを開発
【メソッド3】(???)にチャンスを! 柔軟な発想を採用

【メソッド1】(???)が200年の伝統を守った

 改めて、みなさま、最近おこしはお召し上がりになりましたか? 49歳の筆者も子供の頃に食べた記憶はありますが、正直、最近はほとんど口にすることがありません。印象に残っていることは「硬いお菓子」ということ。大阪名物とはいえ、手土産にお持ちすることもありませんでした。

 そもそもおこしとは、蒸して乾燥させたお米に砂糖と水飴を混ぜて固めたお菓子のこと。弥生時代の遺跡からおこしに似たものが出土しており、日本最古のお菓子とも言われているそうです。お米が一般に流通する前は、粟やハトムギが原料だったことから「粟おこし」との名前がつきました。

 江戸時代に入り、天下の台所と呼ばれた大阪には、全国から良質のお米が集まりました。あみだ池大黒・初代の小林林之助は、このお米に目をつけ、庶民には高級品だったお米を使ったおこしを作ったのです。これが評判となって、全国にその名を知られるようになり、あみだ池大黒のおこしは、当時、数多あるライバルを押し退けダントツの人気商品になりました。

 さらに明治時代。日露戦争の時、あみだ池大黒は出兵する兵隊たちを称えるため、明治天皇から35万箱の「恩賜のおこし」の注文を受けます。戦地で食べた方、もったいないと故郷に帰って食べた方、皆が戦後も懐かしい味を求めて大阪に買いに来られたそうで、あみだ池大黒は、日本を代表するお菓子メーカーとなったのです。

200年前から変わらぬ製法と本店の場所

 会社は、現在も200年前の創業時と同じ場所、大阪・北堀江に本店を構えています。屋号の由来は、本店の近くにあって、地名にもなっている「阿弥陀池」。さらに、本店の隣に建つ蔵の中に、五穀豊穣の神様である大黒様が家宝として保管されています。お米を主原料とするおこしの会社において、とても大切な神様は、代々の当主が全国から集めたそうで、その数3500体。戦争時の空襲でもこの蔵だけは焼け残りました。今もお米に敬意を持って接する気持ちを大切にしています。

 現在、商品を製造しているのは、兵庫県西宮市にある工場。

 おこし作りは、溶かした砂糖・水飴とパフ状になったお米を釜で加熱しながら混ぜ合わせることから始まります。使っているお米は、工場がある兵庫県でとれる播州米。地元のお米を使うことで、鮮度がよく、香りのよいおこしになります。工場にある釡は全てガスを使います。常に火の調節が必要ですが、ガス火の方が、香ばしくサクッとした食感のおこしに仕上がるそうです。

 混ざり具合は、ベテランの職人さんが手触りで確認していきます。生地は、硬すぎても、柔らかすぎても具合が悪く、仕上がりに大きな影響があるのでとても重要な作業です。出来上がった生地は、1㎝の厚さに伸ばし、自然乾燥させて紙に包み、これまたベテラン職人さんが梱包します。

 噛んだ瞬間、口の中に広がるお米の風味とサクサクした触感が特徴の粟おこし。

 200年間変わらない製法で、伝統の味を守り続けています。

 「常により良いものを、より美味しいものを作りたいという思いが200年の伝統を培ってきたと思います」と話す7代目の小林さん。さらによいものを作っていきたいとの思いが伝わります。

7代目を守る小林昌平社長