では、なぜ小豆島が、世界に認められるオリーブオイルを作れたのか?そして、そこまで辿り着くまでの苦難と、挑戦の道のりをひも解いていきましょう。
【メソッド2】(???)の導入で農家が切磋琢磨
【メソッド3】(???)を取り入れ世界で認められるオイルに
まずはメソッド1を見てみましょう。
【メソッド1】(???)による丁寧な選別で高品質を実現
小豆島でオリーブの栽培が始まったのは、1908(明治41)年。実は思ったよりも歴史があるんですね。大正から昭和にかけ、ピクルスや髪油など、化粧品として人気を博していました。
しかし、59(昭和34)年にオリーブとオリーブ油の輸入が自由化され、安くて高品質のオリーブが海外から入ってきたことで、小豆島でオリーブを作る農家は激減。生産量が下降します。
オリーブの品種の選定や、育て方、病害虫への対策など、生産者たちのサポートをする「小豆オリーブ研究所」の主席研究員・柴田英明さん。コチラの柴田さんがこの部署へ配属された今から24年前は、世間では先述の「イタメシブーム」が起こり、オリーブオイルの輸入量は増えていたころですが、小豆島では、たった1社「東洋オリーブ」という会社だけが、化粧用と食用のオリーブオイルを搾っているという状態でした。「オリーブオイルはほとんどが輸入されていたので、小豆島では、1社だけが油を搾る機械を持っていて、細々といいますか(笑)真面目に作っておられていました」と、柴田さんは当時を振り返ります。

しかし、柴田さんは、健康志向の高まりなどから、「国産オリーブオイルの需要はある!」と考え、島の生産者たちと改革に乗り出します。
まず、柴田さんたちはオリーブオイルの本場イタリアへの視察に向かいました。そこで小豆島の生産者は、レベルの高い本場の「オリーブオイル」に衝撃を受けたそうです。「イタリアの北から南まで、オリーブ畑は当然ながら、他にも採油所、大学などを回って『良いオリーブオイルとはどういうものか?』の認識を共有しました」。そこで、「海外のものと勝負ができる小豆島産オリーブオイルを作りたい!」そんな思いが、生産者の中に生まれたのです。
海外ものに手摘みで勝負
その思いを実現するための大事な要素が「手摘み」へのこだわりでした。
1955年の設立以来、オリーブ一筋に歩んできた東洋オリーブ。木下和也さんは「ひとつ一つ、実を見ながら収穫しています。病気の実や、葉巻虫という虫に食べられたりしている実を搾ると悪いオイルが出来るので、それを見つけるためにも手摘みにしているんです」と話します。いやいや。いくら海外とは規模が違うとはいえ、全ての手で実を摘むのは相当ハードな作業ですよね?しかも、オリーブの実は、傷がつくとそこから酸化してしまうため、収穫の際は「1度に4粒以上持たない」という決まりまで作り、品質を保ちます。この決まりによって更に作業は大変になりますが、それもこれも、「美味しいオリーブオイルを作るため」。徹底的なこだわりです。
ちなみに、海外のオリーブ畑は広大なので、大量のオリーブを大型の専用車で一気に収穫しています。一例として車の先端に装着した器具でオリーブの木を幹からガッチリと掴み、それを揺らして、落ちてきた実を袋で受け止めるダイナミックなものがあります。あっという間に実を収穫することができます。

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