世阿弥は「離見の見(りけんのけん)」という言葉で、客観的に俯瞰して全体を見ることの大切さを説いている。『髙田明と読む世阿弥』を著した髙田氏(自著を紹介する下記の動画をぜひご覧ください)が、長年テレビ通販番組のMC(語り手)を務めてきた経験を交えながら、その難しさを語る。
普通、人間は自分の後ろ姿を見ることはできません。鏡があっても難しい。同じように自分自身を客観的に見ることは、上の立場になったり、成功体験があったりすればなおさらでしょう。
世阿弥は『花鏡』に、演者は3つの視点を意識することが重要だと書いています。
1つ目が「我見(がけん)」。役者自身の視点です。2つ目が「離見(りけん)」で、観客が見所(客席)から舞台を見る視点を指します。3つ目が「離見の見(りけんのけん)」。これは役者が、観客の立場になって自分を見ること。客観的に俯瞰して全体を見る力です。
世阿弥は、観客から自分がどう見られているかを意識しなさいと説いているわけですね。その視点を頭に置くのと置かないのでは、観客への伝わり方は全く違ってくるでしょう。
役者は演じながら同時に観客にはなれない
離見の見にて見る所は、すなはち、見所同心の見なり(『花鏡』舞声為根)
役者は演じながら、同時に観客にはなれない。けれど観客と同じ気持ちになろうと努力することはできる。この努力が実を結ぶことを「見所同心」と世阿弥は表現しました。ただ、いずれも容易ではない。その難しさを誰しも理解するからこそ、世阿弥のこの言葉が時代を超えて長い間語り継がれてきたのでしょう。
私も、どれだけお客様と心が一つになれたかというと自信がありません。けれどそうなりたいと常に意識をしてきました。そして、少し離れた場所から自分やお客様などすべてを眺めるイメージを持つように心掛けてきました。
独りよがりでは相手の心に届かない
テレビの前のお客様は私たちをどんなふうに見ているのか。そのことに心配りをしないと、決して相手の心には届きません。実際、テレビ通販番組でこうした離見の見の視点を忘れ、自分の思いを一方的に発信してしまったときは、まず数字が伸びませんでした。
例えば、商品紹介をする際「これはいいでしょう」「安いでしょう」と一方的に連呼すると、お客様の反応が全くないときがあります。いくら品質がよく、お買い得な商品だったとしても、我見で語っていたら相手に響かない。
お客様の立場になって、商品の魅力をしっかり分かってもらえるように話すことで初めて、我見と離見、売る側と買う側双方の視点が一致するのです。
そんなふうに自分が話していることを相手が理解しているか、真意が伝わっているかと想像しながら話せたときは、かなりの確率で結果もついてきました。
これで終わりではありません。我見と離見を客観的に俯瞰して見る離見の見がないといけないのです。
通販番組の放送中、直接お客様の姿を目にすることはできないので、想像力を膨らませるには場数を重ねるしかない。自分ではうまく伝わったと思っても結果が出ないのは離見の見が不十分だったから。何度も失敗を重ねながら離見の見を磨いていくのです。
場の空気感をどうしたら観客と共有できるか、能面をつけていて観客の姿がはっきり見えない中でも、世阿弥は舞台の上で舞いながら考えたのでしょう。
あなたの常識は誰かの非常識
世阿弥の考え方を仕事に当てはめてみてください。みなさんは、離見の見を意識してお客様や上司、部下に接していますか。
仕事に一生懸命な人ほど狭い業界の常識に染まりがちです。でもそんな「常識」の中には、お客様や若い社員にしてみれば、なぜそうなるのか分からない「非常識」なルールも多々あるように思います。
日本の家電業界の存在感が薄くなっています。これはどうしてかといったら、我見に走った部分が多少あったからではないでしょうか。消費者はどんなものを求めているかをメーカーの立場から考えて、「日本製品は品質がいいから、値段も高いです」と言っていたような気がします。
そのうち、品質もいい、値段も安いというほかの国のメーカーに顧客を奪われ、逆転されてしまった。我見だけで事を進めたから、周囲とはかけ離れた独自の進化をする「ガラパゴス化」に陥ったのです。その結果、国際競争力が弱くなったのではないかと思います。
良かれと思って製品を作っても消費者から支持されない。常に消費者の動向を意識しながら商品開発をすべきなのです。とりわけ変化の速い現代ではなおさら。現代の私たちの課題に引きつけて考えられる視点を示しているのが、世阿弥のすごさです。
相手のことを分かろうとする姿勢が何より重要だと思います。お客様の気持ちを理解できなかったら、ビジネスは決して成功しない。お客様の気持ちが分かれば、売れる製品やサービスが作れると思います。
お客様はもちろん、上司や部下、同僚、家族やパートナーなど相手が誰であれ、およそ他者を理解する心に欠ける人は、仕事でも家庭でも満足感や達成感を得ることはないでしょう。どんな世界でも離見の見の視点を持ち、独りよがりにならない努力を続けていくこと。これが成長の条件なのかもしれません。
(この記事は、日経BP社『髙田明と読む世阿弥 昨日の自分を超えていく』を基に再構成しました。構成/荻島央江)
昨日の自分を超えていく――。
ライバルは「昨日の自分」。
他人と自分を比べず、「自分史上最高」を全力で追う。
ただそれだけでいつか自分がなりたいと思う自分になれる。
ジャパネットたかたの創業者・髙田明が
いつも頑張っているあなたに伝えたい成長のルールとは。
不遇の時代をいかに過ごし、絶頂のときにいかに慢心を抑えるか。他人の評価に一喜一憂することなく、ただ、ひたすらに自分の夢を追い続けるための心構えとは何か。外見を飾り立てるのではない、内面からにじみ出る人の美しさとは何か――。
ジャパネットたかたの創業者、髙田明氏が600年の時を超えて出会った盟友が世阿弥。能を大成した世阿弥の名言「初心忘るべからず」「秘すれば花」などを髙田流に読み解き、現代人に役立つエッセンスを紹介しています。また、能研究の第一人者、増田正造氏が監修。初心者も楽しく読めて、内容の濃い4編の解説を寄せています。
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