世阿弥は『風姿花伝』に「すぐに過ぎてしまう若さの魅力、一時的な人気を実力と勘違いすると本物から遠ざかる」と書き残している。世阿弥に深く共鳴し、『髙田明と読む世阿弥 』を著した、ジャパネットたかた創業者の髙田明氏。「時分の花」を「まことの花」と錯覚する落とし穴にはまらないよう、常に「昨日の自分を超えていく」ことを心に留めているという。

 みなさんは今年、お花見をしましたか。桜は本当に美しい。少しずつつぼみが膨らみ始め、やがて可憐に咲き誇り、その後は葉桜となり、季節が過ぎれば散っていく。まさに時がもたらす花の美しさです。

 世阿弥は、役者の輝きを花に例えました。

『風姿花伝』では、役者の生涯を「幼年期」「少年前期」「少年後期」「青年期」「壮年前期」「壮年後期」「老年期」までの7段階に分け、それぞれの年代に応じた稽古や能役者としてのありようを示しています。

「青年期(24、25歳)」の項で、次のように説いています。この時期は声変わりも終わり、体格も一人前となる。そうした初々しさもあって、名人よりも高い評価を得ることがまれにあると言います。

 ただ、世阿弥はクギを刺します。

「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷て、やがて花の失するをも知らず」(『風姿花伝』第一年来稽古条々)

 一時的な花を、まことの花であるかのように思い込むと、真実の花になる道から遠ざかる。にもかかわらず、誰も彼もが、この一時的な花を本物と混同してしまう、という意味です。

 キーワードとなるのは「時分の花」「まことの花」です。

「時分」とは、適当な時機、好機を指します。人や動物の子供がかわいらしかったり、若い男女がはつらつとしてまぶしく見えたりするのは、傍目にそう見える年齢の時期だから。

 少年・青年期に脚光を浴び、ベテランの役者より高い評価を得ることになっても、それは若さによる一時的な花の珍しさで勝っているだけ。

 一方、「まことの花」とは生まれ持った才能に加え、努力によって高められた能力のこと。まことの花なら時が去っても決してしおれることなく、より長く花を咲かせ続けることができます。