2018年8月31日に設立70周年を迎えたエステー。鈴木貴子氏の社長就任から5年。18年3月期には、13年ぶりに過去最高益を更新した。けん引するのは、売り上げ全体の4割強を占める消臭芳香剤部門だ。

 2009年、エステーでは鈴木喬(たかし)社長(当時)の下、すべてのコア製品のデザインを見直す「デザイン革命」を開始した。現社長の貴子氏は当時、社外のコンサルタントとしてデザイン革命を推進。第一弾として手掛けたのが、消臭芳香剤「自動でシュパッと消臭プラグ」のモデルチェンジだった。

 このデザイン革命を貴子氏と二人三脚で進めたのが、デザインオフィスnendo代表の佐藤オオキ氏。2人が当時を振り返る。

<span class="fontBold">佐藤オオキ(さとう・おおき)氏(左)</span><br /> デザインオフィスnendo代表。1977年カナダ生まれ。2000年早稲田大学理工学部建築学科首席卒業。02年同大学大学院修了後、05年にnendoを設立。東京、ミラノを拠点としてプロダクト・建築・インテリア・グラフィックと多岐にわたりデザインを手掛ける。著書に『ウラからのぞけばオモテが見える』(日経BP社)など<br /><br /> <span class="fontBold">鈴木貴子(すずき・たかこ)氏(右)</span><br /> 1962年東京生まれ。84年に上智大学外国語学部を卒業。日産自動車、LVJグループ(現・LVMH GROUP)などを経て2010年エステー入社。12年取締役兼執行役グローバルマーケティング部門特命担当。カリスマだった先代の後を継ぎ、13年社長就任。18年3月期は過去最高益を見込む(写真:小野さやか)
佐藤オオキ(さとう・おおき)氏(左)
デザインオフィスnendo代表。1977年カナダ生まれ。2000年早稲田大学理工学部建築学科首席卒業。02年同大学大学院修了後、05年にnendoを設立。東京、ミラノを拠点としてプロダクト・建築・インテリア・グラフィックと多岐にわたりデザインを手掛ける。著書に『ウラからのぞけばオモテが見える』(日経BP社)など

鈴木貴子(すずき・たかこ)氏(右)
1962年東京生まれ。84年に上智大学外国語学部を卒業。日産自動車、LVJグループ(現・LVMH GROUP)などを経て2010年エステー入社。12年取締役兼執行役グローバルマーケティング部門特命担当。カリスマだった先代の後を継ぎ、13年社長就任。18年3月期は過去最高益を見込む(写真:小野さやか)

鈴木:お会いするのは8年ぶりですね。当時私は、叔父の鈴木喬に「デザイン革命」を持ちかけられ、デザインのコンサルティング会社を立ち上げたばかりでした。

佐藤オオキ氏がデザインを手掛けた「自動でシュパッと消臭プラグ」
佐藤オオキ氏がデザインを手掛けた「自動でシュパッと消臭プラグ」

 エステーではそれまで「機能的価値」を重視した製品作りを続けてきました。「デザイン革命」で私が目指したのは、その技術力を生かしつつ、製品を見るだけでワクワクし、期待感が高まるような情緒的価値を加えること。それができれば女性を中心に、より広い支持を得られるはずと確信していました。

 佐藤さんに手掛けていただいた「自動でシュパッと消臭プラグ」の新デザインは、今までになくシンプルで、サイズも25%コンパクトになりました。

「外様」流改革

佐藤:実は当時驚いたことがあるんです。私は多くの企業でデザインをさせていただきました。一般的に、今までしてきたことをひっくり返すようなときには、摩擦が大きかったり、抵抗があったりと音を立てて何かを壊さなければならない印象があります。私がその場に立ち会うことも少なくありません。

 ところがエステーさんでは、「革命」という言葉からは想像がつかないほどの、しなやかな革命でした。音もなく液体が浸透し、社員たちの意識が変わっていくようなイメージです。

 その理由は鈴木さんの誘導の仕方にあった気がしますが、何か秘訣はあったのでしょうか。

鈴木:そうですね。当時はエステーに入社する前でしたから、私も佐藤さんと同じく、完全に「外様」の立場で挑んだ改革でした。まず心掛けたのは、社員たちの過去の成果を否定しないことです。

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