とはいえ、総監督は、あの庵野秀明氏です。

 現代の名匠とも呼ぶべき庵野監督が、まさか「よくある怪獣映画」をつくるわけがないよな、と思いながらも、予告編からは「よくある怪獣映画」をつくったとしか思えない。

 モヤモヤしながらも、映画館で見ることを決意したのは、封切られて数週間後。ソーシャルメディアで話題になっていたからです。

 そして私は、予告編が「物語の核心」を予告していなかったことを知り、思いがけず感涙にむせぶことになりました。  

 しかも、後から気づいたのですが、予告編をつくったのも、本編と同じ庵野監督なのです。

期待値調整で、人気を爆発させる

 なぜ、庵野監督は、あの予告編をつくったのか?
 観客の期待を高めすぎないため?

 私には、そうとしか思えません。

 では、その狙いは?
 いわゆる「期待値の調整」をしたのではないか?

 私はつい、そんな邪推をしてしまうのです。

村上社長。映画「シン・ゴジラ」を見ながら、何度も涙したという(写真:栗原克己)
 

 期待値の調整とは、仕事の受注者が、発注者との間でしばしば試みる行為です。仕事を受注したら、発注者が100%満足するレベルで仕上げるのが理想ですが、現実にはなかなか難しいものです。プログラミングなどは典型例で、発注者には新たな要求が次々に生まれ、それにどこまでも付き合っていると、受注者は、際限なく課題を抱え込むことになります。だから事前に「このレベルまでできれば、OKとしましょう」という達成度のリミットを共有します。

 映画の予告編とは、本来、観客の期待を高める「広告宣伝」の目的でつくられます。

 しかし、見方を変えれば、映画のつくり手と観客が、事前に「期待値の調整」を行う場として捉えることも可能です。

 そして一般的な映画の予告編は、広告宣伝の目的を重視するあまり、期待値を高めに設定しがちである気がします。「全米が泣いた!」などといったコピーはいい例で、「私は全然泣けなかったけどね」といった冷たい評価が、クチコミで広がる結果を招きかねません。しかも、そのリスクはソーシャルメディアの進化で高まる一方です。

 かたや「シン・ゴジラ」の予告編はその逆張り。わざと物語の核心を外し、自虐的なまでに「よくある怪獣映画です」的なアピールをしていたように、私には見えました。

 もしや、これは広告宣伝の目的を捨ててまで、期待値を低いレベルで調整しようとする、庵野監督の戦略だったのではないか?