16年カープから米ドジャースに移籍した、前田健太。大阪のPL学園から06年のドラフト1位で入団すると、10年から6年間連続10勝以上をマーク。「マエケン」というニックネームで多くのファンから親しまれ、カープの象徴のような存在に。ドジャースでも、いきなり15勝を挙げる活躍を果たした。

 その前田を担当し、1年のほとんどを「PL通い」に費やして他球団の追撃を排し、単独指名にこぎつけたのは当時のスカウト、宮本洋二郎(13年勇退)だ。早稲田大学で投手として活躍すると、巨人、広島などで現役生活を送り、その後はコーチ、スコアラー、そしてスカウトに。当時、既に64歳になっていた。

スーツ姿でグラウンドに立ち続ける

 「センバツで注目されて、そこからドラフトまで、ずっとスーツでPLのグラウンドに通いました。必ず練習が始まる前にグラウンドに着いて、練習が全部終わるまで。腰下ろしたりしませんよ、立ったままでね。別に、そこまでやらんでも……って、その通りなんだけど、それが私なりの誠意の通し方だと思ってましたから。そりゃあ、しんどかったですよ、暑かったし。長かったなぁ、あの半年は……」

広島駅からスタジアムまでの道路には、16年に活躍した選手のパネルが飾られていた
広島駅からスタジアムまでの道路には、16年に活躍した選手のパネルが飾られていた

 スカウト界でも最年長に近い大ベテランが連日通い詰め、一日中立ちっぱなしで前田健太の一挙手一投足に視線を注ぐ姿に、最初は一緒にグラウンドにいた他球団のスカウトたちも、1人減り2人減り、最後は宮本だけが残った。

 「よそが遠慮してくれはったんでしょ、老骨が頑張っとったんでね」。今となっては、冗談めかして笑うだけの宮本だが、その姿には鬼気迫るものがあったのだろう。

 「カープはオーナーが直接スカウトと話をしながら、指名する選手を決めます。これはカープの伝統です。そういうチームですから、私は選手を見にいくときも、オーナーの代わりに球場やグラウンドに行っているつもりでした。つまり、球団の代表として、です。だから、球団が恥をかくようなことは絶対にできない。服装、態度、言葉遣い……何でもそうです。とにかく、気を遣いました」(宮本)

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