25年ぶりにセントラル・リーグでの優勝を果たした広島東洋カープ。その復活を支えたのは、松田元(はじめ)オーナーが長期戦で臨んだ、新しい収益源の確保だった。具体的には、新球場による動員増と、オリジナルグッズの販売である。かつては資金に苦しんだ、この球団の変革はいかに進んだのか、その舞台裏を見ていく。

 広島東洋カープは、典型的な地方の中小企業である。球団設立直後の1950年代から資金難に直面し、監督が先頭に立っての募金を呼びかけ、地元住民から資金を得て耐えてきた。有力選手を厚遇で迎え入れることができず、原石のような選手を見つけ出して磨き上げ、戦力とするのがカープの伝統だ。75年の初優勝当時に監督だった古葉竹識氏は「とにかく練習して選手を鍛えた。球場にはカネが落ちていると思えと教わり、また教えた」と振り返る。

 ただし、選手があまりに磨かれて輝くと年俸を負担しきれなくなり、経済的に余裕のある他球団への移籍を引き留められず、力を失うということを繰り返してきた。

 テレビの放映権収入が落ち込み始めた2006年には、カープの最終利益は1500万円を割り込んでいる。その2年前には、球界再編が進展。大阪近鉄バファローズはオリックス・ブルーウェーブに合併された。2年連続で観客動員数が100万人を切っていたカープにも、買収話が持ちかけられていた。

 こういった不安定な状況が、91年以来、25年間も優勝から遠ざかるという低迷の要因だった。

長期的な視点でカープの経営を立て直してきた松田オーナー(写真:橋本真宏)

 しかし今のカープはもう、貧乏でも弱小でもない。15年の最終利益は7億円を、観客動員数は200万人を超えている。低迷が続いたカープを変えたのは、09年に完成した本拠地「Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島」(マツダスタジアム)と、16年には総売上額が50億円に達する見込みのオリジナルグッズだ。

 その変革の陣頭指揮を執ってきたのが、松田元(はじめ)オーナーである。従業員が200人に満たないこの球団で、自ら現場を改革しつつ長期展望を描いてきた。古くからカープの経営と松田オーナーを間近で見てきた広島在住の作家、迫勝則氏は「経営資源が限られる中で、オーナーは2000年頃には既に長期展望で新しいファンを育てることを考えていた。多額のお金は使えないので時間はかかったが、今それが花開いている」と評する。