伊勢佐木町はこの関内に隣接する市街地で、関内がビジネス街であるのに対して、こちらは商業施設や歓楽街を含めた市街地でした。それが大きな転機を迎えるのは戦後の米軍による接収です。範囲はおおむね旧外国人居留地のみならず、横浜市役所や伊勢佐木町を含んでいます。

 横浜市役所は接収の間、周辺の代替地を転々とし、その後同じ場所に戻ってきました。しかし、この間に本社機能を東京に移して戻って来ない企業もありました。地図の赤点線で囲んだ部分が、おおむね米軍の接収地域(建物の多くは接収されているが、神奈川県庁等接収されていない建物もある)です。中心市街地の伊勢佐木町のほとんどが接収されていたことがわかります。接収から約10年を境に徐々に接収解除されて復興を遂げていきますが、このころには横浜駅周辺が市街化されはじめ、街の中心はこちらに移っていきます。

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 現在の横浜駅がある場所は古くは海で、埋め立てられて油槽所(石油タンク)が作られ、横浜駅が開業してからは油槽所の跡地に現在の主要な商業施設が建てられ、周辺の市街地ができあがってきます。高度経済成長とともに、首都圏の都市化の拡がりが横浜を、それだけでなく神奈川県全体を巻き込んだことで、横浜駅は神奈川県の主要交通結節点として多くの人を集めることになります。

 伊勢佐木町も横浜駅周辺も、時期は違えどもともと海だった所が埋め立てられ、新たに市街地になる流れは共通しています。その流れはここで終わりません。三菱重工業の造船所跡地とその沖合が埋め立てられ、1989年に「横浜博覧会」が開催されますが、その跡地がみなとみらい21地区として整備され、こちらも新たな市街地になっています。

横浜の中心シフトを写真で見る

 以上を頭に置いて、実際の街の風景をご覧ください。

関内
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 関内、といってもJR関内駅より海側のエリアですが、官庁やオフィスビルが多い一方で、歴史的建造物もあります。みなとみらい線の開通でより便利になり、観光客も多いことから景観も整えられています。

伊勢佐木町
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 伊勢佐木町は歓楽街の印象が強い街ですが、首都圏でチェーン展開する書店の有隣堂本店がある等、文化の中心地だった名残もあります。小規模な個人店も、古くからの個人店とチェーン店が混在し、隣接する野毛は近年「はしご酒スポット」として再び注目を集めています。

横浜駅
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 横浜市民のみならず、沿線の神奈川県民を集め、最も多くの人で賑わうのが横浜駅周辺の市街地です。老若男女を集める大型商業施設や専門店が密集し、付随して小規模な飲食店、個人店もあります。

みなとみらい
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 みなとみらい21地区は、ランドマークタワーやクイーンズスクエア、パシフィコ横浜等、大規模な複合ビルが多く、観光やイベント、非日常的な買い物先として定着しています。新しい街ゆえ、小規模な個人店はなく、伊勢佐木町や横浜駅と棲み分けがなされています。

 さて、西の港町、神戸はどうだったでしょうか。

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