公立はこだて未来大学や蔦屋書店、ホームセンター等はさらに外側にあり、複数の施設が集中することなく分散しています。ここで見えてくるのは、戦前に繁栄した市街地(函館では十字街付近)は、歴史的建造物があれば観光地になり、モータリゼーションが発達する高度成長以前に最も人を集めた市街地(函館では五稜郭付近)が中心市街地になるものの、高度成長以降、モータリゼーション発達後は郊外型の施設が外側に点在しつつ、なかでも交通利便性の高いところ(函館では美原)にいくつかの施設が集中し、中心市街地の集積度を凌駕していく、ということです。概念としては知っていても、実際にこうした傾向を全国各地で確認するのは、たいへん興味深いものです。

横浜と神戸、二大港町の「動態」を比較する

 函館のような都市を見ると、現在の街の様子を見ただけでも、街の動いた軌跡が読み取れます。そう、街は動くのです。

 前回、地形の制約で山に囲まれていると街は動きにくく、平野に囲まれていると動いたり、拡散したりしやすい、という傾向を佐世保と佐賀の比較で見ました。しかし、山に囲まれていても動く街があります。時代に翻弄され、周囲の都市に翻弄された都市として、日本を代表する港町である、横浜と神戸の地図を見てみましょう。

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 横浜も神戸も、市街地は1カ所ではなく、複数に点在しているのがわかります。

 それぞれの都市で市街地(桃色の背景の部分)を見てみると、横浜駅周辺、三ノ宮(神戸三宮)駅周辺に大型商業施設が密集し、遠方からも人を集める多くの人が集まる街となっています。

 こうした中心地から3km離れたところに、横浜では伊勢佐木町、神戸では新開地という市街地がありますが、こちらは大型商業施設はあまりありません。横浜・伊勢佐木町付近にある、ちぇるる野毛やカトレヤプラザ伊勢佐木は、食品スーパーと日用雑貨店が入る小規模な商業施設で、神戸・新開地付近にあるダイエーやライフは、全国チェーンのスーパーです。

 共通しているのは、遠方からではなく近隣の人を集める商業施設、ということです。この点からは、とても中心的には見えない市街地ですが、伊勢佐木町の近くには官庁やオフィス街があり、新開地の近くには官庁やオフィス街はないものの、「神戸駅」という、神戸を代表するような駅名の駅があります。これにはどんな背景があるのでしょうか。時代に翻弄されながら街が動いていった経緯を読み解いていきましょう。

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 横浜駅は最初から現在の場所にあったわけではありません。

 横浜駅は1872年に現在の桜木町駅の場所で開業し、次いで現在の高島町駅付近に移転、1928年に現在の場所に移ります。神戸駅は1874年に開業しますが、現在神戸駅は神戸市の中心駅ではなく、大阪と山陰を結ぶ特急列車も通過するほどです。そのかわりほぼ全ての列車が停車するのが三ノ宮駅で、兵庫県内で最も利用者が多く、事実上の中心駅となっています。

 その三ノ宮駅も、当初は現在の元町駅の場所にありましたが、1931年に現在の場所に移転し、阪急線、阪神線が乗り入れ、市役所が移転してきたことで中心性が増し、現在に至ります。駅だけでもこれだけ大きな動きがありますが、街の中心も、これと呼応するように動いてきました。

いま最も賑わう横浜駅周辺は、もともと石油タンク群だった?!

 横浜は、開港以前の街といえば東海道の神奈川宿のみでしたが、開港して「関内」といわれるエリアが整備されます。東半分は外国人居留地、西半分は日本人町で、いわば貿易関係のビジネス街でした。神奈川県庁や横浜市役所は日本人町側に、中華街は外国人居留地側にできます。ここは現在でもビジネス街で、歴史的建造物や異国情緒は観光資源にもなり、観光客を集める街でもあります。

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