「横浜都市発展記念館」という、「横浜という都市の歩み」を展示する施設があります。ちょっとマニアックな視点の企画が多く、現在は横浜の交通インフラとそのネットワークのあゆみを紹介する「伸びる鉄道、広がる道路 横浜を巡る鉄道網」(7月1日まで、企画展示案内はこちら)を展示中です。
しばらく休載していた“地理人”、今和泉隆行さんの連載を再開するにはもってこいではないかと思いついて「この展示をテーマにいかがですか」とご紹介したら、思った以上に火が付いてしまい、莫大な原稿と資料画像が送られてきました。今和泉さんのテーマのひとつ「移動する街の中心」に、この企画展がぴったりはまったようです。扱っている題材も、横浜だけではなく日本全体になりました。
どうしたものかと思いましたが、こういう熱の入った原稿をそのままお見せできるのがウェブ連載のいいところだと思いますので、3回に分けてお送りします。
世の中の誰が、池袋と熊本、静岡と新潟、佐世保と佐賀を比較して論考しようなどと思いつくでしょうか。全国の都市を誰に頼まれたわけでもなく今日も歩き回り、あれこれ仮説を立てて分析する、今和泉さんならではの視点をお楽しみください(と思ったら、こんどはウラジオストックに行かれたようです……)。
(編集Y)
「駅前が一番賑わう」とは限らない
首都圏の人が地方都市に行ったとします。
「街に何もなくてさ、この都市、寂れている…と思った」
というエピソードを聞くことがわりとよくあります。
実はこれまで、趣味で全国各地の地方都市に足を運んだことがあるので、「あれ、そんなはずはないんだけどな」と思うわけですが、その人は、駅前の様子を見てそう言ったことが分かりました。
大都市圏で育つと、どの都市も駅前が最も賑わうため、そう思う人が多いのでしょう。実際には、駅と繁華街が離れている都市はかなりの数あります。例えば、池袋(東京都)と熊本(熊本県)の、中心駅と主要施設を載せた地図を見てみましょう。大型商業施設、公共施設、官庁、宿泊施設、駅等の交通拠点をプロットしています。
池袋では、大型商業施設が池袋駅の東西にあり、駅を中心に均等に広がっています。熊本では、ほとんどの施設が熊本駅周辺にはなく、北東に離れたところにかたまっています。大型商業施設は、街で最も人の集まる場所にできることが多いですが、池袋のような、駅ができてからできた街は、駅を中心に街が広がっていることが読み解けます。一方、熊本駅と市街地は離れているのが分かります。
なぜこうなるのか、答えは簡単です。
熊本は江戸時代、つまり鉄道ができる前から大きな城下街だったからです。このように、江戸時代から街があり、その後県庁所在地になったような全国の主要都市は、最初に街があって、その後に鉄道駅が作られます。
熊本で多くの商業施設が集まる中心市街地は、熊本城の近くにあり、城下町時代の名残を今に残しています。そして熊本駅は、鉄道が開通した明治時代に、当時の市街地の端に作られました。
鉄道は、開通当初は蒸気機関車で牽引される長距離列車が中心で、煙害もあれば、蒸気機関車や貨車が待機、転回するために広い面積を要したため、このように市街地から離れたところに作られるケースが一般的だったのです。このため鉄道駅の場所を見ると、そこが明治時代の市街地の端であることが多いのです。
ただ、駅が城の真ん前にできる、という例外もあります。城の敷地が官有地として接収され、中心部に広大な空き地が得られたことで、ここに駅が作られることもありました(山形市、福山市などです)。
どっちが中心? 古くからの街と駅前で起こる攻防
名古屋では名古屋駅ではなく栄、福岡では博多駅ではなく天神…といったように、鉄道の駅が従来の繁華街と離れた場所にできた場合、街の中心はどちらに動くのでしょうか。
以前は名古屋駅や博多駅は単なる交通の拠点で、街としては後塵を拝していましたが、今や全国的に、駅前の方がもともとの中心市街地を凌駕するほどの新市街地になっています。名古屋では近年、旧市街地の栄にある百貨店「松坂屋」の売上高を、新市街地の名古屋駅にある百貨店「高島屋」が抜き、差を拡げているというニュースがありました。1999年JRセントラルタワーズ(高島屋)、2006年ミッドランドスクエア、2015年JPタワー(KITTE)といった相次ぐ名古屋駅前の高層複合施設のオープンは、鉄道駅への追い風を物語っているようでもあります。
札幌でも、札幌駅ビルとして2003年にオープンしたJRタワー(大丸、札幌ステラプレイス等)は、旧市街地の大通~すすきの付近を凌駕しています。とはいえ、完勝ではありません。福岡では2011年のJR博多シティの開業で博多駅周辺(新市街)の集客力が増しましたが、まだまだ旧市街の天神の集客力は強く、この構図は当分覆らない見込みです。
駅が明治時代の市街地の端に作られたとお話ししましたが、さらに外側にできるのが高速道路のインターチェンジです。これは、鉄道ができた時代と高速道路ができた時代の違いによって生まれます。鉄道は今や地域輸送に力を入れていますが、国鉄時代は遠距離輸送が主力で、貨物輸送も多く、機関車の付け替え等に広大な線路用地を必要としました。こうした意味では、今で言うインターチェンジと近いものです。
高速道路は特に1970年以降に整備されたので、中心駅とインターチェンジを比べて見ると、年輪のようにその都市の広がりが見えてきます。東名阪といった大都市圏では、早い段階で高速道路が整備され、その後も住宅地が広がりましたが、地方都市では1980年以降に整備され、現在の住宅地の端に高速道路が通っているのが一般的です。
この街はどこが「中心」なのか?
よく「街の中心」「中心市街地」という言葉を耳にしますが、何があると中心市街地なのでしょうか。位置として古くから街の中心部のことなのか、官庁街か、ビジネス街か、商業施設が集中するあたりでしょうか。あるいは鉄道駅や主要道路の始点や結節点、地価が最も高い地点、という考え方もありそうです。どれが正解というわけでもありませんが、自治体が全てを総合してどこが中心市街地かを位置づけているのが一般的です。
都市の中で、上記の要素が比較的まとまったところに集中していれば、全てを兼ね備えた市街地は賑わいが絶えず、衰退しにくくなりますが、それが災いして各施設の拡張の余地がなかったり、交通渋滞が発生したりします。かといって、拡張性の限界や交通渋滞を解消するため、それぞれの機能を離れた場所に分散させすぎると、それぞれの場所が閑散とするだけでなく、移動が増えて車を使わないと生活が成り立たなくなる、といった問題もあります。
静岡市(都市人口70万人、都市圏人口99万人)と新潟市(都市人口81万人、都市圏人口106万人)は、2000年代中盤に政令指定都市入りした、地方都市の中では大都市にあたる都市です。
人口規模は似ていますが、異なるのは市街地です。静岡の市街地は、交通拠点から商業施設、各種官庁が徒歩圏内に凝縮されています。一方で、新潟の市街地はそれぞれの拠点が分散し、徒歩で行くには遠い所もあります。
静岡市は人口規模の割には商業施設が多く、とりわけ若年層向きのパルコ、丸井、モディ、東急スクエアに加え、それに引けを取らない静岡鉄道系列会社運営の新静岡セノバ、JR静岡駅ビルのパルシェ、と徒歩圏内に豊富な選択肢があります。これは全国的に見ても珍しいことです。駿府城の付近という古くからの市街地でもあり、官庁やオフィス街、古くからの店舗も徒歩圏内に密集し、市街地は多くの人が歩いています。
新潟市はどうでしょう。古くからの市街地である古町では、新潟大和、ラフォーレ原宿・新潟といった大型店が閉店(それぞれ2010年、2016年)しましたが、商店街の個人店もシャッターを閉めた店舗が多く、客足も伸び悩んでいます。ではこの集客力がどこに移ったかというと、南東の万代シテイ周辺です。
以前の信濃川の川幅は、この万代シテイを含むほどの広い幅でしたが、そこを埋め立てた後に新潟交通の本社や車庫が置かれ、後の1972年の再開発で生まれたのが万代シテイです。新潟駅と古町の中間という好立地を活かし、やがて新潟一の市街地となりました。ラブラ万代からビルボードプレイスにかけては新潟で最も人を集める、トレンドの先端地域と言っても良いでしょう。また、現在新潟駅は現在高架化工事中で、駅舎を含む駅空間ががらりと変わります。ここでもし万代シテイを凌駕するほどの大規模な駅ビルが生まれると、集客力の重心が移る一大事ですが、新潟市の計画を見る限りそれはなさそうです。
続いて、もう少し少ない人口の都市圏を見てみましょう。
どちらも九州ですが、長崎県佐世保市(都市人口26万人、都市圏人口30万人)と佐賀県佐賀市(都市人口24万人、都市圏人口40万人)です。この2都市は、近くにありながら、際だった差異が見て取れます。
商店街(地図中の「市街地」の部分)の写真を見てみると、人通りに大きな違いがあるのが分かります。何故この差は生まれたのでしょうか。
人口規模ゆえ、主要施設は静岡や新潟より少なめですが、地図を見てみると、佐世保市は、市役所を除いて徒歩圏の市街地にあらゆる主要施設が密集しています。周囲を山に囲まれた地形の制約があって、郊外に移転先がないことや、新たな幹線道路を作れない影響で、車でどこからどこに移動するにも、市街地は大抵通ることになります。
一方、佐賀市はそれぞれの要素が分散しています。佐世保市と事情が逆で、周囲が平野で移転先があることや、道路網を充分に整えられた影響で、中心部が空洞化しました。市街地の人通りは非常に少なく、その代わりゆめタウン佐賀やモラージュ佐賀等、外側を結ぶ四角形状の道路沿いに商業施設が多く、こちらが買い物の需要を吸収しています。それぞれの機能が買い物、手続き、通院…それぞれの場所が離れていることで、自家用車をもつ必要性は極めて高くなります。
街の賑わいは周囲の地形によって決まる!?
皆さんにとっては、どちらの都市が住みやすいでしょうか。
商店街の写真だけ見ると、密集したコンパクトな街の方が良さそうです。車を持たず、徒歩や自転車で生活したい人、嗜好の問題ですが街を歩くのが好きな人にとっても密集したコンパクトな街が良いでしょう。一方でコンパクトな街は、これまで市街地、住宅地の面積を拡げずに人口増を賄ってきたため、地価が高いのが難点です。拡張の余地がないことで、比較的早い段階で人口減少を迎え、そのペースは早まってもいます。
何かを取れば何かを失う、と言って良いでしょう。
都市の形がどうなるのかには、各都市の施策が影響を与えていますが、それ以上に、周囲の地形が影響を与えています。山に囲まれた佐世保市と平野が広がる佐賀市は違いが明確です。
静岡市と新潟市の場合は、どちらも平野が広がり、地形的に変わらないようにも見えます。しかし、より引いて見ると地形の違いが鮮明になってきます。
引きで見てみると、佐世保と佐賀と同じ構図が広がっています。静岡市は周囲を山に囲まれ、都市化の広がりは山によって止められ、高密度化します。おまけに、古くからの市街地と中心駅(静岡駅)が近く、こちらもコンパクトにまとまっているため、都市機能は非常に狭い範囲に凝縮されます。
新潟市は周囲に平野が広がっており、都市化の勢いを受け止める余地がふんだんにあるため、面的に四方八方に広がります。……おっと、四方八方に、というのは間違いですね。新潟は北に日本海があるため、北側には拡大できません。
このことは街の集客力に大きく影響します。まず、南側と、同じ信濃川の東岸である東側からは、古町よりも万代シテイや新潟駅の方が来やすい街になります。西側の狭い信濃川西岸からのみ、古町のほうが来やすいエリアになりますが、これも都市圏が大きくなりすぎると関係なくなります。車を持つ人は郊外のモールへ、公共交通を頼る人は、所要時間がかかるバスよりも、速くかつ定時性の高い鉄道が使われるため、新潟駅の求心性は高まります。
このため新潟駅に大型商業施設ができれば大きく構図が揺れ動きますが、先に見たとおりその予定は今のところないようですので、新潟駅至近の街「万代シテイ」の求心性は今後も保たれることでしょう。
もうひとつ、冒頭で出した熊本市の例を見てみましょう。こちらはいくつかの要因が重なって、熊本駅から離れた熊本市街地(通町筋電停付近)の中心性が保たれ続けています。
まず、西側に山があるため、西には市街地が拡大しません。そのかわり、東側には平地が広がり、こちらに住宅地が増えていきます。西側にある熊本駅の求心性が高まることはなく、東側にある熊本市街地の賑わいは保たれ続けます。
平地は南側にも広がっています。南側の平地は標高の低い、稲作に向く水利の良い農地ですが、住宅地としては水利は関係なく、標高の高い平地が好まれます。こうしたことから熊本市街地は東方向に広がり、このことが東寄りにある熊本市街地の賑わいが続く要因にもなっています。
街の変化を動態観察しよう
静岡と佐世保は、あらゆる中心的機能が重なっていますが、街の構図が昔から変わらず動いていない街でもあります。新潟や佐賀は、あらゆる中心機能が分散していますが、街の中心機能が時を経るごとに動き、街の構図が変わっていく…この動く街の生態を捉えると、過去や未来を読み解くヒントが得られることでしょう。次回は、そんな視点から街を見ていきます。
(つづきます)
■変更履歴
国土地理院から画像使用の承認が降りましたので、該当する画像9点を差し替えました[2018/06/21 13:15]
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