子供のころには思いっきり遊ばせ、喜怒哀楽は豊かに、できるだけ多くの経験をさせ、勉強もなるべく広く浅く学ばせることが肝要です。そうすることで、心に「柔軟性(ゆとり)」が生まれ、それが大人になってからの「生きる力」の土壌となっていきます。

 そもそも大学というところは、小・中・高と学舎でふつうに学び、級友と遊び、ケンカし、恋をし、部活動をして、その結果として身に付いた学力で試験に臨んで行くところであって、受験に“特化”した勉強をして行くところではありません。

 さきの「F1カー」を持ち出すまでもなく、ひとつのことに特化してしまえば、その「ひとつ」以外にはまったく役に立たなくなるのはあたりまえのこと。幼いころから「受験知識」や「受験テクニック」を詰め込むことだけに特化した勉強をさせたのでは、社会に出てから社会人としての「生きる力」も「耐性」も「最低限の能力」も持ち合わせていない、使い物にならない人間になってしまうのは自然のなりゆきです。

 以前テレビ番組で、一流大学の就活生が「何百社受けても内定がもらえない」と泣いているのを見たことがありますが、おそらく彼はこのタイプの人生を送らされてきたのでしょう。「受験テクニック」以外何も知らないような社会の役に立たない人間をどこの会社が雇うでしょう。しかし、本人はどうして自分が雇われないのか、わかっていないようでした。彼のこの言葉が印象的でした。

 「慶応に入ったんだから、就活で苦労するわけがないと思っていました」

 なるほど、雇ってもらえないわけです。私が人事担当者でも、けっして彼を雇わないでしょう。子供のころに親から“まともな教育”を受けさせてもらえなかった“犠牲者”の末路です。

極限までムダを削ぎ落とした企業の場合

 企業で言えば、トヨタ自動車。

 トヨタは、徹底的に生産効率を高めるために「カンバン方式(ジャストインタイム)」というシステムを編み出しました。これは「必要なものを必要なときに必要な分だけ作ることで在庫をほとんど持たない」という生産システムです。

 こうした「徹底的にムダを省く企業努力」が功を奏して、トヨタは業績を挙げつづけましたが、しかし“あそび”がない分、何かしらの事情で生産ラインのどこか1カ所でも計画通りに部品が届かないと、全ラインがストップしてしまうという弱点があり、そうした問題は、たとえば阪神淡路大震災や東日本大震災でトヨタの生産体制が一時麻痺したことで表面化したものでした。

 たしかに、企業にとって、ふだん在庫は「お荷物」かもしれません。しかし、たとえ屈強なボディビルダーであってもあまりに徹底した節制を行うと餓死してしまう危険性があるのと同様(実際にある著名な日本人選手が脂肪を極限まで落とすための減量により亡くなっています)、組織というものはあまりに短期的な効率ばかりを求めすぎると、かえって自ら企業体力を削ぐことになり、大きな波がやってきたとき生き残れなくなる可能性を孕むのです。