始皇帝が統治した秦帝国の場合

 それはどんな強大な国家でも例外ではありません。たとえば、今から2200年以上前の中国。長らく続いていた戦国時代を制した秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)は、極めて厳密な法統治によって秩序を恢復しようと努めます。

 たとえば、「武器の所有を禁止する」。

 こうした法令自体は、日本でも戦国の終わりに「刀狩り」が行われたほどで珍しいものではありませんが、秦の場合、「一切の例外を認めない」という徹底ぶりで、たとえば猟師が仕事上に必要な「弓」すらも禁じられました。

 猟師がお上に事情を訴えようとしようものなら「徒党禁止」に引っかかって処罰されてしまう有様。とにかく「法令に書かれた文言」だけを書いてあるとおり厳格に守らせるというガチガチで融通の利かない法制だったため、やがてそうした不満が爆発して、秦はアッという間に滅亡することになりました。

西安市街地から東に約30km離れた臨潼県にある秦の始皇帝陵。始皇帝は厳格な法治国家の原型を作り上げ、中国統一を成し遂げた。一方で、極端な法治思想の弊害もあって、秦は建国後わずか15年で滅亡した。(写真:PIXTA)

 組織の運営には「ゆとり」が必要です。

 これを引き継いだ漢の劉邦(紀元前?年~紀元前195年)は始皇帝の定めた厳しい法令を廃し、「殺した者は死刑、傷つけた者は処罰、盗んだ者も処罰」の法三章を発し、細かいことは当事者と役人が話し合って決めればよいという“ゆるやかな政治”を施行、これによって民心を掌握したと伝えられます。

“受験知識”だけを叩き込まれた学生の場合

 学業でもおなじです。

 世の中には、幼いころから同年代の子と遊ばせもせずに「勉強!」「進学塾!」「家庭教師!」と徹底的に子供に“受験知識”を叩き込ませようとする親が少なからずいます。

 しかしながら、そんなことをしてよしんば子が一流大学に入ったところで、その子は社会人としてまったく役に立たない人間になってしまうのがオチです。