「ゆとり」は悪ではない

 歴史を学ぶことで様々な真理が理解できるようになり、それが人生を豊かにする源となりますが、今回のコラムでは「ゆとり」について見ていくことにします。

 「ゆとり」といえば、近年「ゆとり教育」の弊害が表面化して社会問題となりましたが、じつのところ「ゆとり」自体は企業にも社会にも国家にも必要不可欠なものであって、それ自体が「悪」というわけではありません。

 もっとも、物事には“適度”というものがあり、「ゆとり教育」はそこのところを履き違えた感は否めませんが…。

1998年改定(2002年度以降実施)の学習指導要領で教育を受けた「ゆとり世代」は、年長者からひとくくりに批判されがちだが、「ゆとり」自体は必要不可欠なものだ。

「ゆとり」なき覇権国家の末路

 たとえば、歴史を紐解けば、その時代その時代を代表するような“覇権国家”というものがあります。古代ヨーロッパなら「ローマ帝国」、中世西アジアでは「イスラーム帝国」、近代では「大英帝国」、20世紀であれば「アメリカ合衆国」。

 しかし、どれほどその時代に覇を唱え、我が世の春を謳歌しようとも、これらの国がその栄華を長つづきさせることはできません。詳しくは拙著『覇権で読み解けば世界史がわかる』(祥伝社)に譲りますが、「覇権国家」になるためにはひとつの“絶対条件”があるためです。

 この“条件”を満たした国家だけが覇権国家たり得ますが、その“条件”自体が永続できない理由となります。その条件とは、「その時代の特性に国家体制を特化させ、ぴったりとマッチさせる」こと。

 歴史を振り返ると、それぞれの時代により社会的な特徴があります。

 たとえばヨーロッパ史を紐解いてみると、中世なら封建体制が浸透して、土地所有者が絶対的な権力を振るった時代。

 近世に入ると、商業資本家が発展して王権が絶対的な権力を振るった時代。

 近代に入ると、産業資本家が発展して議会主権が浸透した時代。

 そして19世紀に入ると、金融資本家が発展して行政府が実権を握り、無制限に軍事力がモノを言った時代。