近代における「知の解放」

 こうして、安価な書物が大量に出回るようになったことで大規模な「知の解放」が行われ、庶民の誰でも「知を享受」できる態勢が整いましたが、権力側もなお「知を独占」するべく抵抗を試みます。

ならば、大衆どもに文字を教えなければよい。

 こうして各国政府は国民にまともな教育を与えず、このため庶民は書物はあっても読むこと叶わず、これにより民衆を“無知の檻”に閉じ込めておく目的はある程度達成されました。

 ところが、近代に入って「産業革命」が起こり、また「国民国家」が生まれると、そうもいっていられなくなります。

 産業革命を円滑に運営し、また国民軍を実用水準に引き上げるためには、どうしても国民に一定の教育を与えざるを得なくなったためです。[この因果については長くなるのでここでは割愛します。詳しくお知りになりたい方は、拙著『戦争と革命の世界史』(大和書房)をご参照ください。]

近代になって「国民」があらたに登場するのにともない、国民のレベルを引き上げるために義務教育が与えられるようになった。産業の発展や軍の質の向上を目的とするものだったが、結果として国民の識字率は大きく向上し、知の解放が進展した。(写真:PIXTA)

 このとき、国民国家に生まれ変わることができなかった専制帝国(ドイツ帝国・オーストリア帝国・ロシア帝国など)は、たちまち“時代遅れの体制”と化し、第一次世界大戦を戦い抜くことができず、20世紀初頭までにつぎつぎと崩壊していくことになりました。

「知の解放」に逆らう者は滅びる

 さて。

 古代ローマでは、「知の解放」の動きに対し、貴族自らこれを実行したことで、ローマはその後の発展の礎を手に入れました。

 中世キリスト教会は、この動きを断固圧殺しようとしたために教会の絶対支配が崩壊していきました。

 近代に入り、義務教育という「知の解放」の動きが起こると、この時代の流れについていけなかった専制帝国は一斉に姿を消していきました。

 このように、人類の歴史上、何度かの「知の解放」が起こりましたが、そのたびにこの動きに応じた国家・組織が発展し、これに抵抗した国家・組織がたちまち亡んでいったことがわかります。

活字を読まない層にも「知の解放」は及んだが…

 しかし、こうして「義務教育」が施され、下々の者まで字が読めるようになっても、「活字を読まない層」というのは相当な割合で存在します。ところが20世紀に入ると、新たなる技術革新によって、これら“活字を読まない層”にまで「知の解放」が起こりました。それが、ラジオ・テレビ放送の始まりです。これにより、活字を読まずとも目に耳に“自動的に”情報が飛び込んでくる時代がやってきました。

 事ここに至り、上から下までほぼ万民に対して「知の解放」が完成し、「知の独占」と「解放」の戦いの歴史でもあった人類の歴史も、ここでようやく終止符が打たれるか──に思えました。

 しかし。

 敵(権力側)もさるもの引っ掻くもの。

 もはや「知の解放」を押し留めることは不可能と悟った権力側は、今度は「知の解放」の逆手を取り、むしろこちらから進んで“権力にとって都合のよい思想”を垂れ流し、知を統制することで、思想誘導を図るようになります。

 「知の独占」を図るのではなく、「ウソ情報の洪水で“真実”を埋没させる」策略はたいへんな成果を収め、一般大衆は権力(政府・マスコミ)の思想誘導にモノの見事にコロコロと騙され、事実上「知の解放」を無効化させることに成功しました。こうした動きに関して、当時、社会評論家の大宅壮一氏がうまいことを言っています。

一億総白痴化

 こうして、まるで「すごろく」において「あがり寸前で“ふりだしにもどる”を踏まされた」ような状態となってしまいます。