平民(プレブス)には法体系が知らされていなかったため、もし「貴族 vs 平民」で諍(いさか)いが起これば、司法(貴族で独占されていた)はかならず貴族にとって都合のよい法解釈を以て判決を下したため、平民は「後出しジャンケン」をさせられているような形で確実に負けます。

そんな法律、知らんぞ!

 しかし、司法は「お前たちは知らないかもしれぬが、そういう法なんだから仕方がない」の一点張り。

ならば、その法体系をあらかじめ我々(平民)にも公開しろ!

 こうして平民は「知の解放」を要求。

 貴族と平民の対立が深刻化すると、ついに貴族も折れ、法体系を公開することになりました。これがよく人口に膾炙(かいしゃ)している「十二表法」(*注1)です。

*注1 紀元前450年頃、古代ローマにおいて初めて定められた成文法。内容は民事訴訟や刑事訴訟、祭祀(さいし)などに関する諸原則。そのかなりの部分は既存の慣習法を成文化したもの。ローマにおける階級闘争の産物であり、貴族・平民の形式上の平等化と平民の保護とを大幅に推進、貴族の恣意的な法運用は難しくなった。

 こうして、貴族から平民へと平和的に「知の解放」が行われたことによって貴族と平民の結束が図られ、以降ローマは発展し、様々な紆余曲折を経て、やがて「地中海帝国」へと発展していくひとつの起点となったのでした。

中世における「知の解放」

 時代が下って中世ヨーロッパでは、キリスト教会が「知の独占」を図っていました。古代ローマにおいて貴族が独占しようとしたのは「法体系」でしたが、中世においてローマ・カトリック教会が独占しようとしたのは「神の教え」──すなわち『聖書』です。

 中世教会は「聖書をラテン語以外に翻訳してはならない」と厳命しました。当時、ラテン語を読むことができるのは、聖職者とごく一部の知識人くらいで、庶民はまったく読めませんでしたから、「読めない聖書」にすることで「知の独占」を図ったのです。

 キリスト教世界にあっては、「聖書こそが法」でしたから、古代ローマの貴族が「法体系を独占」することで権勢を独占しようとしたのと精神は同じです。