「創業」は易く「守成」は難し

 こうしたことからもわかるように、袁氏も孫呉(孫氏の呉)も、直接的にはそれぞれ敵国(魏、晋)によって軍事的に攻め滅ぼされた形になっているため見逃しがちですが、本質的には「お家騒動」によって内から亡びたといっても過言ではありません。「お家騒動」さえなければ、袁氏も孫呉もそこで亡びることなく、歴史は大きく変わったことでしょう。

 「お家騒動」とはそれほどまでに組織の力を根こそぎ削ぎ落とすのです。

 7世紀前半の中国においてこんな逸話が残っています。

 ある時、時の皇帝・唐の太宗(598~649年)が家臣に下問しました。

王朝を興すこと(創業)と、これを維持すること(守成)ではどちらがより困難であろうか?

 下問を受けた家臣の一人・房玄齢は「創業」が難しいと力説しましたが、もう一人の家臣・魏徴はこれに反論します。

 「臣は守成の方がはるかに難しいと考えます。創業時は内に結束していますから敵を打ち破ることも困難ではありません。しかし、ひとたび天下を獲った後に“敵失”となれば、たちまち内なる結束が弛んでいくためです」。

 これが所謂「創業は易く、守成は難し」の故事ですが、いつの世も「最大の敵」は、「外」にではなく「内」にあります。

げに恐ろしきは外敵より「内なる敵」

 それは歴史を紐解いてみても明らかです。

 学生時代に学校で「歴史」を学んだ時、読者のみなさんは諸国の興亡に対してどのような印象を持ったでしょうか。悠久の歴史の中で泡のように無数に現れ、そして消えていった国々は、そのほとんどが「敵国に攻め滅ぼされた」という印象をお持ちではないでしょうか。

 しかし実際にはそうではありません。じつは滅んでいった多くの国が直接的・表面的には「敵国に攻め滅ぼされた」としても、実際にはその前に「内から腐敗がすすみ、すでに亡んでいる」状態であることがほとんどです。

 逆に、内部が健全な国であれば、たとえどれほどの大国が襲いかかろうとも、これを攻め滅ぼすことは至難の業です。それどころか小国と侮った大国が大敗してしまうことも歴史の中では珍しくありません。

 三國志では先の「官渡の戦」然り、「赤壁の戦」然り。
 欧州史では「七年戦争」(1754~1763年)然り、日本史では「日露戦争」(1904~1905年)然り。

 それこそ数え上げれば枚挙に遑(いとま)がありません。つまり組織が亡ぶ時は、たとえ直接的・形式的には外敵に亡ぼされたのだとしても、それはきっかけにすぎず、実際には組織がすでに“死に体”にある時なのです。

 人間で喩えるなら、「末期癌を患い明日をも知れぬ病状となった患者が、最期は肺炎で亡くなった」ようなもので、たしかに直接の死因は「肺炎」かもしれませんが、そもそも癌(内訌)にかかっていなければ肺炎(外敵)などで死ぬこともなかったのですから、実質的な死因は「癌(内訌)」といえます。

 組織が健全でありつづければ、どんな小さな企業・国家でも亡ぼされることはなく、逆にどんな巨大な企業・国家でも、内訌が起こればたちまち亡びます。

 しかし。

 孫権だって袁氏や劉表の末路はよく知っていましたから、「お家騒動」が亡国への道を一直線に転げ落ちることは重々承知だったはず。にもかかわらず、「お家騒動」を避けることはできませんでした。

 「肉を放置すれば腐る」ように、組織も時間の経過とともに必ず腐るためです。長い年月は“しがらみ”を複雑化・深化させ、小さな対立は憎しみへと成長し、修正不能なほどに泥沼化していきますが、これが組織の劣化に直結していきます。

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