中国の明代に書かれた時代小説『三国志演義』の一場面(桃園結義の場面)を表現した像。中央が蜀の初代皇帝となる劉備(161~223年)。(写真:PIXTA)
中国の明代に書かれた時代小説『三国志演義』の一場面(桃園結義の場面)を表現した像。中央が蜀の初代皇帝となる劉備(161~223年)。(写真:PIXTA)

「三國志」の時代ほど、学ぶことの多い時代はない

 筆者の本業は予備校の世界史講師ですが、「世界中のあらゆる国、あらゆる歴史の中でもっとも好きな時代は?」と問われれば、「三國志」の時代と答えるでしょう。もっとも「受験世界史」ではさらりと流される単元であるため、その魅力は学生に伝わりません。

 歴史は深く学べば学ぶほどおもしろく、また役に立つ学問なのですが、ほとんどの方は薄っぺらな「受験世界史」の知識だけを丸暗記させられ「つまんね」という印象だけが残って、社会人になっても歴史を敬遠してしまっている現状は残念でなりません。

 そうした現状を少しでも緩和したいと出版が始まった拙著「世界史劇場」シリーズですが、幸い好評を得、このたび第10作目を迎えるにあたり、想い入れのあるこの「三國志」をテーマといたしました(興味のある方はベレ出版刊『世界史劇場 正史三國志』をお読みください)。

 単に「英雄と英雄が覇を競い、猛将と勇将が干戈(かんか、武力)を交え、軍師と智将がしのぎを削る、血湧き肉躍る時代」というドラマとしてのおもしろさがあるばかりでなく、三國志ほど学ぶことの多い時代もないためです。

【ミニ解説】

三國志:中国の後漢末期の180年頃から三国(魏・蜀・呉)すべてが亡びる280年頃までの、約100年間の話。

【魏】黄河文明が発祥した地域である「中原(ちゅうげん)」を支配。三国の中で最も人口が多かった。曹操(155~220年)が有力武将だった袁紹(?年~202年)を破った後、息子の曹丕(そうひ)が220年に魏を建国。曹丕から曹奐まで5代続いたが部下の司馬氏(晋を建国する)に実権を奪われ、265年に滅ぼされた。

【蜀】後漢末期の武将・劉備(161~223年)が、208年の赤壁の戦で呉の孫権と連合して、魏の礎をつくることになる曹操軍を破り、221年に建国。劉備が亡くなると、その軍師・諸葛亮(孔明)が第2代皇帝の劉禅を補佐して国を立て直す。諸葛亮の死後もしばらくは国体を維持するが、263年に魏に攻められ滅亡する。

【呉】孫権(182~252年)が222年に長江流域に建てた国。元々、中国後漢末期の武将の孫堅、その長男の孫策が勢力を拡大し、孫策の弟である孫権が呉の初代皇帝となった。その後、孫権を原因とする後継者選びの混乱などで国力が減退し、280年に司馬氏の晋に滅ぼされる。

「天下統一」を目前にしながら滅亡の道を歩んだ、袁紹の場合

 たとえばつい先日、「大塚家具、過去最悪の63億円の赤字計上!」とのニュースを耳にした時も、筆者の脳裏には「三國志」がよぎったものです。

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