したがって軍隊というものは、中央からつねに輜重(しちょう、武器・弾薬・兵糧・被服・燃料など軍の維持に必要な物資の総称)の補給をつづけなければ維持できるものではありません。このような補給システムのことを「兵站(へいたん)」と呼びますが、まだ食糧生産力も低く、鉄道などの交通インフラも脆弱な18世紀当時、これを維持するのは並大抵のことではありませんでした。したがって戦争は長くつづけられないのが常識でした。

 ましてや兵站が長く伸びきってしまう遠征軍となればなおさら。遠征軍となれば、本国から遠く離れた前線までの間に、しかも制圧したばかりの敵陣の真ん中に、兵站を伸ばしていかなければなりません。そして、兵站を守るために兵団を駐屯させていかなければならなくなり、それが膨大な負担となってしまうためです。

「圧政からの解放者」との位置づけで敵を取り込む

 ところが、このような“常識”がある中で、ナポレオンはヨーロッパ各地に遠征軍を繰り出して全ヨーロッパの覇権を握ることができました。

 なぜか。それこそ、孫子のいうところの「智将は務めて敵に食む」。

 彼は、兵站の負担を軽減するため、ほんの1~2週間程度のわずかな輜重のみで出陣し、その初戦で勝利するや、“昨日”まで敵地だった地を“今日”自領とし、そこから“明日”の輜重を徴発する ── 所謂(いわゆる)「現地調達」を行ったのです。これなら、開戦前に莫大な輜重を準備する必要もなく、そのため迅速な軍事行動が可能となり、しかも、甚大な負担となる兵站維持の必要もありません。

 ふつう「現地調達」は現地に多大な負担を与えることになるため、現地の人々から深い恨みを買い、その弊害もまた大きいものなのですが、ナポレオンの場合は自らを「革命の子」「圧政からの解放者」と位置づけたため、現地の人々はこの侵略軍を諸手を挙げて歓迎し、自ら進んで徴発に応じてくれたのでした。これによりナポレオンは、短期間のうちにヨーロッパのほとんどを制覇するという、前人未踏の偉業を行うことができたのです。

 このように、何でも自分で調達しようとせず、利用できるものは敵であっても自陣に取り込んで利用する。まさに孫子の言うところの「智将は務めて敵に食む」です。

 日本の戦国時代なら、敵であっても降伏すればそのまま家臣とする(大陸では皆殺しが多発しました)。将棋なら、取った駒を手駒とする(チェスでは取った駒は死駒となります)。じつはこうした敵を取り込む精神は、孫子の兵法・ナポレオン戦法にも通ずる重要な戦略だったのです。

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