米朝開戦を示す2つの理由

 なぜ、そう言えるのかを歴史的観点から探っていくことにしましょう。

 まず第一に、外交的慣習のひとつとして、ある国が開戦を決意したとき、いきなり軍事行動を起こすのではなく、あらかじめ友好国や同盟国などに“諒解(りょうかい)”を取っておくという手続を踏むことが多いのです。今回アメリカが日本・中国に対して立て続けに「戦争も辞さない」との意志を伝えたことが、これに当たります。

 第二に、軍事行動的観点から見ても、やはりアメリカは「開戦」を決意していることが見て取れます。何事も準備不足のまま「ぶっつけ本番」でことに臨むのでは失敗する確率が高くなりますが、特に軍隊というものは「本戦」の前に念入りにシミュレーションをしておかないと、命取りになります。したがって「国家が本気で戦争を決意」したとき、まず実際に“予行演習”を始めることが多いのです。

 軍隊というものは、兵の練度や数、兵器の優劣や多寡といった単なる「数字」からだけではその強さや能力を計ることができません。戦前の下馬評を覆して「大軍が寡兵に大敗する」例など、歴史には枚挙に遑(いとま)がないほどです。

ムッソリーニの失態

 そこでひとつ例を挙げますと、かのイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニ(1883年~1945年)。彼は第二次大戦前、イタリア軍の練兵と軍備増強に明け暮れ、屈強な軍隊を創りあげました。これに自信を得たムッソリーニは、ついに1935年10月、19世紀の第一次エチオピア戦争(1889年~1896年)で獲得し損ねていたエチオピアに対し、植民地化を狙って再度侵掠(しんりゃく)戦争を始めます。

 侵掠に当たって、ムッソリーニにはひとつ心配ごとがありました。それは国際連盟の動きです。当時イタリアは石油を全面的に輸入に頼りきっていたため、もし国際連盟が「石油禁輸」の経済制裁を発動したら、イタリアは破滅してしまうためです。しかし、ムッソリーニは自信がありました。

 「なぁに、国連がごちゃごちゃ言う前に、我が屈強なイタリア軍が短期間のうちに一気にカタをつけてしまうさ!」

 こうタカを括っていたムッソリーニは“見切り発進”で開戦してしまいます。

ローマ市内で演説をするムッソリーニ。(写真:The Granger Collection/amanaimages)