しかし、こうした自堕落な生活は、その民族の精神を骨の髄まで腐らせていきます。そもそもローマが強大になることができたのは、外に対しては命を惜しまず勇敢に戦い、内にあっては勤勉に働いたからです。
しかし、人間というものは、ひとたび不労所得や贅沢を覚えたが最後、「額に汗して働く、貧しくともつつましやかな生活」に二度と戻ることができなくなります。つねに「怠けること」「遊ぶこと」「他者の富をかすめ取ること」しか頭にない人間に成り下がってしまうのです。
あれほど勤勉で勇敢だったローマ人たちは、たちまち怠惰で軟弱な民族と化し、やがてローマそのものを滅ぼすことになりますが、そうした民族性は改まることなく、西ローマ帝国滅亡後も1400年にわたって異民族統治・分裂割拠の時代がつづく一因となりました。
20世紀に入っても、イタリア軍のヘタレっぷりは世界に勇名を馳せた(?)ほど。そして現在、一説にイタリアはデフォルト(債務不履行)寸前とも言われます。
つねに怠けること、遊ぶことを考え、額に汗して働くことを避け、さりとて分不相応な贅沢はやめず、国の生活保障に頼りきりとなれば、それも当然と言えます。古代ローマの時代、不労所得を得た“報い”が21世紀になった今も彼らを苦しめているのです。
近世スペインの場合
さて、近世に入ると、スペインが他国に先駆けて絶対主義を確立するや、アメリカ大陸を“発見”、そこにあった“富”を略奪し尽くしていきました。これによりスペインは「スペイン動けば世界が震える」「スペインの領海に日没なし」と謳われ、その時代の覇権国家として君臨したものでした。
しかし、その富は、スペイン人が額に汗して生んだものではありません。インディアンの富を略奪したものです。ローマについて覧(み)てきたとおり、このような“繁栄”は長続きしないどころか、民の心を腐敗させます。
100年と保たずに新大陸の富を食い尽くすや、スペインはたちまち没落、二度と歴史の表舞台に出てくることはなくなり、現在、スペインもまたイタリア同様、やはりデフォルト寸前です。
“楽園”は地獄への入口
“ほんとうの富”とは「額に汗して自ら生み出した富」だけであって、「最初からある富」から不労所得を得るだけの繁栄は、一見“楽園”にみえて、そのじつ“地獄の一丁目”にすぎません。
それで得た繁栄などほんの一時のことにすぎないばかりか、それが過ぎ去ったが最後、まるで不労所得を得たことへの“神罰”が下ったかのように、その国その民族を子々孫々にわたって苦しめることになるからです。
ナウル共和国では、働かなくても食べていけるようになったことで、働きもせず毎日「食っちゃ寝」の生活が当たり前となり、食事はほぼ100%外食に頼るような生活になりました。