サウジアラビア・サルマン国王訪日
今月、はるばるサウジアラビアからサルマン国王が来日していました。
サウジアラビアといえば世界最大の産油国であり、日本は原油の3割をサウジアラビアからの輸入に頼っています。このため、日本とは切っても切り離せない深い関係にある国ですが、ほとんどの日本人は「サウジアラビア」と言われてもあまりピンと来ないかも知れません。
サウジアラビアについては、これまでは時折、テレビ番組などで「原油産出国の金満ぶり」が紹介されるくらいでしたが、今回もその政治的・経済的背景よりも、サウジ側が持ち込んだ「エスカレーター式の特製タラップ」だの、「移動用のハイヤーが数百台」だの、「随行者1000人以上が都内に宿泊」だのといった、芸能週刊誌じみた下世話な話題ばかりが前面に押し出された報道がなされていたように感じます。
しかし、今回の訪日で重要なことはそんなつまらないことではありません。なぜサウジアラビア国王が御自(おんみずか)ら極東の日本くんだりまでやってきたのか。その理由にこそ、現在サウジアラビアが置かれた切実な窮境があります。

「金満体制」の本質
ところで筆者は、マスコミで定期的に紹介される、そうした産油国の金満ぶりを見ても、彼らに対して羨望の気持ちなどまったく湧いてきません。それどころか、ああした金満ぶりをテレビカメラの前で自慢げに披露する人たちを目にするにつけ、憐憫の情すら湧いてくるくらいです。なぜならば、ああした金満はけっして長く続かないどころか、ひとたび零落(おちぶ)れたが最後、その後にはその国とその民族に末代まで悲惨な運命が待っていることは、歴史が証明しているからです。
例を挙げれば枚挙に遑(いとま)がありませんが、まずは現代においてそうした問題を切実に抱える「ナウル共和国」を見てみましょう。
地上の楽園・ナウル共和国
ナウル共和国とは、日本人にはあまり馴染みのない国かもしれませんが、かつて世界最高水準の生活を享受していたのに、一転して深刻な経済崩壊の状態に陥ったという点で、知る人ぞ知る国です。
オーストラリアとハワイの間、太平洋の南西部にある品川区ほどの面積(21平方km)しかない小島にある共和国であり、世界でも3番目に小さな国連加盟国です。そこに住む人々は古来、漁業と農業に従事して貧しくもつつましく生きる“地上の楽園”でした。
しかし19世紀、太平洋の島々がことごとく欧米列強の植民地にされていく中で、ナウルの“楽園”もまた破られることになります。そして、1888年にドイツの植民地になってまもなく、この島全体がリン鉱石でできていることが判明しました。
リン鉱石とは、数千年、数万年にわたって積もった海鳥のフンが、珊瑚(さんご)の石灰分と結びついてできたもの(グアノ)で、肥料としてたいへん貴重なものでしたから、19世紀後半から採掘が始まりました。
