伝家の宝刀──それは大砲や軍艦などよりはるかに恐ろしい侵掠手段でした。

 18世紀19世紀、ヨーロッパのような小国の集まりが、大国を擁するアジア・アフリカの国々をことごとく併呑(へいどん)して隷属させることに成功したのも、この“伝家の宝刀”のおかげといってよい。

「伝家の宝刀」の力で、ハワイは米国依存体質に

 それは──。

① まずは宣教師を派遣し、教会を建て、学校・病院・孤児院などの慈善事業を推進することでキリスト教信者を増やす。

② つぎに商人を派遣して、自国の経済システムに組み込ませ、依存させてゆく。

 というものです。

 これをやられると、キリスト教徒となった先住民や、欧米列強にソッポを向かれると経済的に生活が成り立たなくなってしまう先住民が、知らぬうちに自国を亡ぼす帝国主義の手先となり、自民族同士で仲間割れを起こすようになってしまいます。

 そうした上で、最後に軍事的に制圧する。

 ハワイもまたこの常套手段にやられ、王朝成立から30年後にはキリスト教を国教とされ、さらにそれから30年後にはハワイ諸島の土地所有権のほとんどをアメリカ人が獲得。当時のハワイの主力産業であったサトウキビ産業を乗っ取っていきます。

 アメリカ人が雇用主、ハワイ人が使用人という構図が生まれ、さらにサトウキビ産業の発展により労働力がハワイ人だけでは足らなくなると、他国からの移民を受け容れてしまいます。こうして経済的にも文化的にも宗教的にもアメリカに依存するようになり、「独立国家」も建前化し、風前の灯火となって行きました。

日本の皇室に縁談を持ち込んだ、カラカウア王

カラカウア通りの入り口にある、ワイキキ・ゲートウェイ・パークに建つカラカウア王像。日本との関わりが深く、明治天皇に謁見している。左手に持っているのは、明治天皇と交わした移民の契約書。(写真:PIXTA)

 王国存亡の機を感じたハワイ王国第7代カラカウア王(1836年~1891年)は、打開策を探るべく、1881年にハワイを発って、アメリカ合衆国をはじめ、諸国を歴訪して回りましたが、このときに日本も訪れています。これにより彼は「初めて日本を訪れた外国の国家元首」となり、日本にゆかりの深い人物となりました。

 このとき彼は、極秘裏に明治天皇に謁見し、自分の姪(カイウラニ王女 1875年~1899年/当時5歳)と日本の親王(東伏見宮依仁親王 1867年~1922年/当時13歳)との政略結婚を持ちかけています。

 もちろん、天皇家とハワイ王家が親戚となることによって、日本の軍事力を後盾にしたいというカラカウア王の意図は明らかでしたが、当時の日本政府にアメリカを敵に回してハワイを守る力などまったくなく、これは丁重にお断りすることになります。

 しかし、カラカウア王のもう一つの要請であった「日本人のハワイ移民」は認められました。カラカウア王は、白人系の移民が増える一方となっていた中で、同じモンゴロイドの日本人の移民を受け容れることで、白人たちに対抗したいと考えていたのです。

 現在、カラカウア通りに立つカラカウア王像が左手に持っているのは、そのときに交わされた移民の契約書です。ちなみに、彼の帰国直後の1882年、建設していた宮殿が竣工しています。それこそが、合衆国唯一の王宮・イオラニ宮殿です。

ハワイ王国の滅亡、アメリカへの併合

 しかし、こうして王国護持に東奔西走したカラカウア王でしたが、その彼もまもなく亡くなる(1891年)と、その妹リリウオカラニ女王の代で、ついにハワイ王国は滅亡することになります。