ハワイを訪れたとき、カメハメハ大王のこうした人生や業績、その偉大さを知ったうえで「カメハメハ大王像」の前に立てば、何も知らずに像の前で記念写真を撮るのとはまったく違った感慨を感じることができるでしょう。 

アリイオラニ・ハレ(ハワイ州最高裁判所)の前に立っカメハメハ大王像。(写真:PIXTA)

日本より半世紀も前に近代憲法を公布

 その後ハワイ王国は、欧米列強から近代国家として認められることを目指して、早くも1840年には近代憲法を公布しています。これは、“アジア初(※注)”と称される「大日本帝国憲法」の公布(1889年)より約半世紀も前だということも驚くべきことです。

(※注) 1876年にオスマン帝国(現在のトルコを中心に繁栄した帝国)が発布したミドハト憲法(基本法)を以て「アジア初」と主張する考えもありますが、そもそもトルコをアジアの国と見るか、「基本法」を憲法と見做すか、わずか1年強の間施行されたのち停止され実質的に機能しなかったものを認めるか否か──で意見が分かれています。

 立憲君主国としての体面を築くことで、ハワイは欧米列強からの政治的・軍事的な侵掠から免れることに成功したのでした。これは我が国、日本が開国後に憲法制定を急いだことを思い浮かべてもらえれば理解しやすいでしょう。

 こうしてなんとか独立を守ったハワイでしたが、ハワイもまた他のAA圏同様に欧米列強の巧妙な侵掠を前にして亡んでいくことになります。近代国家としての体面を整えられ、正面からの軍事的制圧がやりにくくなったと見た列強は、つぎに“伝家の宝刀”を取り出します。