「ハワイ諸島」はその中で最大の島の名からそう呼ばれていますが、ハワイの州都は「オアフ島」のホノルルにあり、そこが観光のメッカであるため、人はオアフ島に来るのです。面積比では「ハワイ島」の7分の1ほどしかないオアフ島にハワイ州全体の80%の人々が集まり住んでいます。

 ではなぜ、ハワイの都はオアフ島にあるのでしょうか?

 「ホノルル=穏やかな湾」、その隣にある「ワイキキ=水の湧き出るところ」、そして「オアフ=人が集まるところ」という意味であるということを知れば、オアフ島がハワイ諸島全体の中枢になったことが理解できるはずです。

 絶海の島にあって人が生きていくためには「水」と「湾」は絶対に必須ですから、自然にこの島に「人が集ま」ってきたのでしょう。

英雄・カメハメハ大王がハワイを救った

 そこに「楽園」が築かれて、長きにわたってハワイの人々の間で平和が享受されていましたが、やがてこの地にその平安を破る出来事が起こります。1778年、大航海時代を経たヨーロッパ人がやってきたのです。あの有名なキャプテン・クック(1728年~1779年)です。

 クック自身はハワイを訪れた翌年の1779年に島民と諍いを起こして戦死したものの、ハワイ諸島の存在がヨーロッパに知れてしまったことで、ヨーロッパ植民地政策の標的とされるようになり、「楽園」にも暗雲が漂うことになります。

 この頃の欧米(白人)列強に目を付けられたが最後、AA圏(アジア・アフリカなどの有色人種文化圏)はアッという間に植民地にされ、その地の人々は欧米列強に隷属した民族に堕ちる──というのが“お決まりのコース”だったからです。

 ところがハワイは違いました。ここにひとりの人物、カメハメハ(1758年~1819年、生年は諸説あり)という英雄が現れたからです。彼は、絶海の孤島に生まれ育ったとは思えないすぐれた外交感覚で、欧米列強の利権争いの中を巧妙に立ち回り、ハワイに史上初の統一王朝(カメハメハ朝ハワイ王国 1795~1893年)を築きあげ、その独立を守ったのでした。

 「国際外交」などまったく経験のない歴史を歩んできた民族から、彼のような外交手腕を備えた人物が現れるということは、極めて稀有なことです。そうした点もふまえ、欧米列強の侵掠(しんりゃく)を退ける政治手腕を発揮したカメハメハ大王の功績には目を見張るものがあります。