戦後の日本人はこうした理(ことわり)を忘れ、戦後教育によって「民主主義は絶対善」「独裁は絶対悪」の一辺倒となってしまいました。「平時」においてはそれでも障りはありませんが、ひとたび国を揺るがす難局にぶち当たった時、たちまち崩れ落ちる“砂上の楼閣”となってしまうことに気づいていません。

国家の“断末魔の声”

 しかし、です。もちろん、独裁的な仕組みの活用が行き過ぎると、大変な弊害があることは指摘しておかねばなりません。

 国が傾いたときに、例えば「独裁官」が現れて軌道修正し、国難が去れば、また元のような「民主的」な社会に戻ればよいのですが、時折その“柔軟性”を失って元に戻らなくなることがあります。そうなったが最後、元に戻らなくなった独裁は、国家の“断末魔の声”と言ってもよく、すでにその国家では“滅亡へのカウントダウン”が始まっていると言えます。

 例えば、ローマにおいては紀元前1世紀になると、本来は国家の非常事態に1人だけ任命されるディクタトールが、次々に輩出されるようになってしまいました。そればかりでなく、あくまで「任期半年」の臨時官職であったはずのディクタトールが、「終身」となるケース(スッラ将軍・カエサル将軍)が現れます。そうなると、あくまで国体は「民主制」であるのに、実態は「独裁国家」となんら変わるところがなくなってしまい、ほどなく「ローマ共和国」は亡んでいくことになりました。

20世紀最悪の独裁は、民主主義の中から生まれた

 また、ワイマール共和国においては、第2代大統領ヒンデンブルク(大統領在任:1925年~1934年、1934年死去)の晩年になると、ワイマール憲法第48条に基づく「大統領 非常大権(緊急権)」が濫発されるようになってしまいます。その結果、議院内閣制や議会制民主主義が機能不全に陥り、ワイマール共和国は大統領の非常大権をもって政治を行う時代に突入してしまいます。

 さらに、アドルフ・ヒトラー政権は1933年に「全権委任法」を“合法的”に通して、ドイツは「世界一民主的な共和国」から一転、「20世紀に刻まれる最悪の独裁(ファシズム)国家」へと変態していきました。

 また、清朝では19世紀以降、欽差官が常設されるようになっていった頃と刻を同じうして、衰亡の一途を辿ることになります。

1933年3月、国会の開会記念式典でヒトラー首相(左)と握手するヒンデンブルク大統領(右)。この後、ヒトラー率いるナチスは「史上最悪」の独裁政権となっていく。(写真:Bettmann/Getty Images)