やさしい社会が育てた現代の若者

 子供であっても大人の話を理解すると同時に、自分の置かれた立場を瞬時に把握し、大人をも手玉に取る機転を利かせる。この逸話は後世に語り継がれているほどですから、当時としても特殊な例に違いありませんが、歴史を紐解いてみても、昔の人が現代人より比較にならないほど、精神的に成熟していたことは疑いようがありません。

 もっとも、こうした精神年齢の違いは、歴史的背景に鑑みれば致し方ない側面があります。この逸話でもわかるように、昔は「判断をひとつ誤るだけで死に直結する」という緊張感のある社会でした。一刻も早く精神年齢を上げないと、生き延びていけない社会だったのです。

 だからこそ、ときには緊張感を解いて思う存分ハメをはずしたい! その少ない機会のひとつが「お祭り」でした。昔の人がお祭りに熱狂し、ハメをはずした理由のひとつでもあります。

 こうした昔の社会に比べれば、現代は本当に“やさしい”社会です。刑は単なる「罰」ではなく「再教育」であるという考え方が浸透し、未成年の場合はどんな凶悪犯罪を犯しても法で守られ、名前すら公表されないルールになっています。たとえ大人が重罪を犯したり、犯罪を繰り返しても、原則的には「社会復帰」への道が準備されている社会──。

 ほんのすこし前(江戸時代)の日本ですら、人殺しどころか「十両(現代に換算して130万円前後)盗めば死罪」、たとえ十両以下であっても「前科三犯で刑量にかかわらず死罪」、重罪を犯せば刺青を施され「前科者」として社会復帰もできないという社会でしたから、それに比べれば驚くほどやさしい社会になりました。

若者が幼稚なのは、「平和な世の中」の証拠

 そうした緊張感とは無縁な、“ぬるま湯”社会の中で育った若者が精神年齢が低いのは当然のことかもしれません。それは同時に、若者があれほど幼稚でも生きていけるくらい「平和な世の中」になったとも言えます。

 毎年、「成人式」のたびに彼らのバカ騒ぎに目くじらを立てるよりも、あのような成人を育んだ現代社会や歴史について想いを馳せる、よい契機と捉える方が建設的といえるのかもしれません。

 (とはいえ、やはり、バカ騒ぎした若者たちにも歴史を学んでもらい、かつて日本でも行われていた「元服」の厳しさも知ってほしいのですが…)