現代の成人式は「お祭り」であって、「元服」ではない

 ところで、年の始まりとともに全国各地で「成人式」が行われ、新成人の門出が祝われました。成人式といえば、ひと昔前でいえば「元服」の儀式にあたり、成人として新しい人生のスタートを切ることを自覚させるための儀式のはずです。しかし、嘆かわしきかな、全国の成人式の“お祭り騒ぎ”を見ていると、一部の新成人の精神年齢は“頭のよろしくない中学生”レベルのように見えます。

 筆者など年配の人間の中には、こうした“惨状”を見るにつけ、怒りが湧きおこって来る人が多いだろうと推察しますが、歴史を紐解けば、こうした現状も致し方ない側面が見え隠れします。

 じつは現代の成人式は、ほんの70年ほど前に始まったばかりのまだ新しい習慣で、終戦直後の重苦しい雰囲気を吹き飛ばそうと企画された「お祭り」に由来します。つまり、現代の成人式は「お祭り」であって「元服」ではないのです。「元服」と思うから腹も立ちます。「お祭り」なら大の大人がバカをやっても許されます。

 そうしてみると、「成人式」などという元服を想起させる名称に問題があるともいえるかもしれません。「成人バカ祭り」(もっとよい表現はあると思いますが)とでもしておけば、ああした騒ぎにも怒りは湧いてこないでしょう。

現代の成人式は「お祭り」であって、かつての「元服」とはまったく異なるものとなった。(写真:PIXTA)

「元服」を境に、その者に対する態度をガラリと変えた

 ひと昔前の日本の「元服」は、数えで14歳(満なら12~13歳、※時代や地域によっては12~16歳ぐらい)前後で大人と同じ権利が与えられる代わりに、大人と同じ厳しい義務が生じることを自覚させる厳粛なる儀式でした。

 「元服」は断じて「お祭り」などではなく、バカ騒ぎなどとんでもありません。元服を境に、服装・髪型、そして名前まで変えることで自覚を促します。断髪して髷(まげ)を結い、「竹千代」という子供らしい名前から「元信」と大人らしい名前に変えられる(徳川家康の場合)だけでも気が引き締まるものです。

 まわりの大人も、その日を境に元服した者に対する態度をガラリと変え、一切の子供扱いをやめます。大人として言葉遣いも対等となり、元服したその日を境に環境が一変するため、本人も否応なく「成人した」ということを自覚させられると同時に、大人としての責任感を植えつけられます。