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2018年9月13日、香港オープンゴルフでスピーチをする本間ゴルフの劉建国会長兼社長(写真=ユニフォトプレス)

 経営破綻から13年、かつての名門ゴルフクラブメーカー、本間ゴルフが快調に飛ばしている。そのドライビングフォースは中国人オーナーの劉建国会長だ。

 2010年6⽉に劉⽒が本間ゴルフの会⻑になった当時、業界内では「HONMAのブランドを⼿に⼊れてしまえば、いずれ酒⽥⼯場は閉鎖され、⽣産拠点は中国に移転される」と噂され、多くの社員が動揺した。 だが劉氏はHONMAブランドの価値の源泉が山形県酒田市の工場にこそあることを確信していた。

「本間はゴルフ界のエルメスだ」。劉氏が筆者に語ったこの一言に、本間ゴルフ買収のすべてが集約されている。

 日本国内でのHONMAブランドは地に落ちていたが、ゴルフ後進国の中国ではHONMAは今なお憧れで、中国人の劉氏はそのブランド価値を誰より高く評価していたのである。

 名門クラブメーカーとして本間ゴルフが一世を風靡したのは1980年代だ。当時はドライバーなどウッドクラブのヘッド素材は反発力のある「パーシモン(柿の木)」が最良とされていた。ただしその加工工程で丁寧にオイルをしみ込ませるなど手間暇がかかり、大量生産には不向きな素材でもあった。それだけに「パーシモンのHONMA」と言われた本間ゴルフのウッドクラブは、リッチで腕に覚えのあるゴルファーのアイコンだった。

 しかしどんな業界にもテクノロジーの変化の波はやって来る。

 90年代になるとウッドクラブの素材はパーシモンからメタルやカーボンへと急速に変わっていったのにもかかわらず、この素材革命に本間ゴルフは完全に乗り遅れてしまった。成功体験が変化に対する硬直化を招いた典型的な例だが、本間ゴルフの不運は“素材革命”が“バブル崩壊”と重なってしまったことである。

 バブル景気に乗って始めたゴルフ場経営が、バブルの崩壊によってあっという間に頓挫、資金繰りに窮して2006年に経営破綻。本間ゴルフは民事再生手続きを経て、日興コーディアル証券系列のベンチャーキャピタル、日興アントファクトリー(現在のアント・キャピタル・パートナーズ)の傘下となり、創業一族は一掃され、同社から経営者が送り込まれた。

 再生企業を安く買って高く売り抜けるバイアウト・ファンドにとっておいしい物件だ。人員削減や資産売却でてっとり早く利益をあげるのが彼らの常とう手段だが、まともな中長期的な成長戦略を描き、買収先の社員たちとの信頼関係を構築できなければ企業価値の向上にはつながらない。安く買いさえすれば必ず儲かるというものでもないのだ。

 買収後、本間ゴルフはファンド出身の社長が3代続き、それなりの経営努力はなされたが、はかばかしい成果はなく、止血が精一杯という状態が続いていた。

 転機は2009年だ。中国の起業家グループが訪日し、東京で日中経営者による交流会が開かれた。その席で劉氏たちの耳に「本間ゴルフの経営権を握っている日本のファンドが株式を売りたがっている」という情報が入ったのだ。

 中国の起業家グループのメンバーは海南航空のCEO(最高経営責任者)をはじめ、著名なオーナー経営者たちが顔をそろえ、皆ゴルフ好きだったこともあり、この売却話に即座に反応した。交流会の翌日の晩、帝国ホテルのラウンジで劉氏たちはアント・キャピタル・パートナーズの経営陣と接触。即座に買い取りを決めた。